リバーズ・エッジ
岡崎京子「リバーズ・エッジ」。評価の高い作品で、私も面白く読んだ。
しかしこれを手に取ったきっかけは、「文学界」に掲載された小谷野敦のエッセイで、そこでは次のように批判的に書かれている。「『リバーズ・エッジ』に私が感じた違和感は、まさにこの「子供共同体」を神聖視する観点が、決して付随的なものではなく、本質的なものとして内在していたからだ。いじめがあろうが、軋轢があろうが、この場合は高校生である「子供」は、「大人」には理解できない共同体を構成するものである、という視点である。」
「文学者の〈いじめ〉責任」と題したこのエッセイじたいは、私は興味深く読んだのだが、いざ「リバーズ・エッジ」を読み終えてみると、その批評としては、上記引用箇所の前後を読みあわせても「?」であるといわざるをえない。
地上げされたまま、手つかずの河原のヤブ。半ば忘れられたその土地で遭遇する「死体」への、登場人物たちの奇妙にズレたリアクションが、この作品全体を貫く世界観である。この世界観を一旦了解した読者は、ちょっとイカレた登場人物たちの行動も、とりあえず違和感なく受け入れることができるだろう。
とはいえ、最後まで主人公に感情移入して物語を読み進められるとは限らない。
登場人物の一人・吉川こずえが終盤、主人公・ハルナを横目に言う。「行こ 山田君 アホはほっとこ」まさに私の主人公に対する気持ちもそんな感じ。唐突に橋の上で涙されても、なんだかなーとシラケてしまう。むしろ私は、山田君を慕い、文字通り恋に身を焦がす、田島カンナに感情移入してしまったよ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

ペヨトル工房から出ていた「銀星倶楽部」の6号、ノイズ特集。
「きょう、ママンが死んだ」の書き出しが超有名なカミュの「異邦人」。
深夜、カーペットに落ちた髪の毛が突然気になりだして、コロコロで掃除する。一度気になりだすと、壁紙の煤けた汚れや、ガラスの指紋、テーブルの上のコップを置いた丸い跡など、ほとんどヌーヴォーロマンの小説の細密描写ばりに気になりだす。
一度だけ、小説家のサイン会というものに行ったことがあり、それが金井美恵子のサイン会で、主催者側としては新刊のエッセイ集の販促も兼ねて(というか、それが目的)いたのだけど、私はそのエッセイ集ではなく、同時にその場で売られていた「噂の娘」という小説を買って、サインの順番待ちの列に並んでいたら、店員が駆けてきて、「新刊のエッセイ集を買わないとサインしません!」と言われ、あやうくケンカになりそうになったのだけど、まもなくそれは店員の認識違いであることがわかり、無事にサインはして貰えたものの、店員は結局謝りもせず、「今回だけは、金井先生の恩情で」みたいな形で、あくまでこちらに非があるような態度を貫き通したのが私には不満で、それはともかく、金井美恵子の小説(どれもセンテンスが長い!)を読むとしばしば、そこに書かれていることから逸脱して、たとえば上に書いたような、記憶の底に眠っていた些細な出来事に思いを馳せている自分に気づくのだ、ちょうど「軽いめまい」の主人公・夏美がマンションの台所で、「水道の水を眺めながら何を考えるのでもなく、ぼうっと放心する心地よさと虚しさ」を感じるように。
つげ義春の「新版 貧困旅行記」(新潮文庫)の中の「蒸発旅日記」。
古井由吉「男たちの円居」(講談社)。
内田百けん(「けん」は、門構えに月)の「東京日記」であることは間違いないのだ。
「自由とは何か」佐伯啓思著(講談社現代新書)
吉田秋生の「BANANA FISH」は、1985年~1994年、別冊少女コミックに連載された長編漫画。
深沢七郎のデビュー作(第1回中央公論新人賞)にして代表作。
かつて札幌を拠点として活動した劇団、デパートメントシアター・アレフの主宰者、故萬年俊明氏の小説。巻末に、公演記録なども。
最近のコメント