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聖火

聖火、長野に到着  物々しい雰囲気の羽田(共同通信)

というわけで、ものものしい雰囲気の中、「聖火」が長野にやってきた。
各国での騒ぎは周知の通り。
「いったい何のための?」というメディアがあるが、そんなもの、中共の国威発揚のために決まっている。
実にバカバカしい。
バカバカしいというのは、そんな答えのわかりきった疑問を呈するメディアにいうのではないよ。それが反語であることくらいはわかる。
中共の国威発揚のために行われる聖火リレーが、わざわざ長野で行われることが、バカバカしいというのである。

基礎からわかる「北京五輪と政治」(読売新聞)

一部抜粋。
「過去には…繰り返されたボイコット
最初に聖火リレーが導入された1936年のベルリン大会は、ヒトラー率いるナチス・ドイツによる国威発揚のための大会として、歴史に刻まれている。
ナチスによるユダヤ人差別政策について、英国、米国などの非難が相次いだため、IOCは、すでに決まっていたベルリンでの開催について、34年の総会で再討議した。結局、IOCは「ベルリン開催は、ナチス統治以前のワイマール共和国体制下で決まった。その後、国の体制が変わっても、IOCは内政には干渉しない」という論理で、欧米でわき上がったボイコット論を封じ込めた。
続く、40年の東京大会、44年のロンドン大会は、戦争のあおりを受けて中止になった。東京大会は、「紀元2600年」に合わせて招致を企図したものだったが、すでに戦時体制に入っていた日本は、開催を「返上」せざるを得なかった。
68年のメキシコ大会では、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)が批判の的となり、50を超える国々がボイコットを表明する事態になった。IOCが南アの参加を禁止したことで、ボイコットはなくなったが、その一方、開催地のメキシコ市で、大会直前に開催反対の学生らと軍隊が衝突、約200人が死傷する事件が起きた。
五輪期間中の大惨事として記憶される72年のミュンヘン大会では、パレスチナ・ゲリラがイスラエル選手団の選手村に侵入、11人が死亡した。
76年のモントリオール大会では、中台問題がクローズアップされた。開催国のカナダが台湾と断交して中国と国交を結んだため、台湾選手団が、隣国の米国まで来ながら、入国を拒否される事態になった。また、南アフリカ問題に絡んで、アフリカ諸国の多くの選手団が、開幕直前に引き揚げる事件に発展。以後、ボイコットという手法が、抗議の仕方として定着した。
80年のモスクワ大会は、ソ連のアフガニスタン侵攻により、日本を含む西側諸国の多数が不参加となった。続く84年のロサンゼルス大会は、その報復措置として、ソ連と東欧諸国がボイコット、「不完全五輪」が続いた。ソ連と米国という超大国での相次ぐ開催は政治色が強く、東西冷戦下におけるIOCの無力ぶりを浮き立たせた。
88年のソウル大会は、一時は、分断国家である韓国と北朝鮮による共同開催案まで議論された。しかし、大韓航空機爆破事件の発生により、共催案は吹き飛び、北朝鮮はボイコットに動いた。
政治の影を改めて感じさせたのが、2002年ソルトレーク冬季大会だ。開会式では、前年9月11日の米国同時テロで崩落した世界貿易センタービルの廃墟から回収された「グラウンド・ゼロ・フラッグ」が入場。米国の政治的プロパガンダぶりが、「五輪への政治の持ち込み」と指摘された。」

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