自由とは何か
「自由とは何か」佐伯啓思著(講談社現代新書)
『普通、われわれは「自由な個人」から出発する。「自由な個人」から出発すれば、国家はそれに対する制約としてしか理解されないだろう。こうして、「権力を行使する国家」に対する「自由な個人」という図式が出てくる。確かにこの図式が妥当する局面もしばしば存在する。しかしより根底にあるものは、「自由な個人」を支える「権力を持った国家」なのである。この後者をとりわけ注意しておきたいのは、「権力」VS.「自由」や、「国家」VS.「個人」という図式はあまりにわかりやすいのに対して、「権力」や「国家」が「自由」や「個人」を支えているという側面はなかなか見えにくいからだ。』
こんな体験を思い出した。
ある芝居の、開場を待つ列で、中年というか初老の男が、若者に話しかけていた。警察は不要である。なぜなら警察が出動することにより、事件は一向になくならないのだから、と。
「キミ、そうは思わないかね?」
「はあ」
男は全共闘世代と思われた。まさに「運動」していた頃の、若い自分自身に語りかける口調だった。
今さら、社会契約論だなんだを引き合いに出すまでもなく、こうした不毛な議論はとうの昔に葬られたものと私は思っていた。だから、こんな青臭いギロンをしているおじさんを見ると、うんざりし、ぐったり疲れてしまうのだ。
著者は、本書の終盤でこう述べる。
『現代の「自由」が「自由」を蝕んでいるといってもよいし、「自由」の領域をいささか矮小化してしまっている、といってもよい。ここに現代の「自由のパラドックス」がある。』
そして、このパラドックスの生じる理由は、
『「自由」という観念に実際上、意味を与えている条件、それを支えている条件に目を向けていないからである。』
「自由」というものが、この現実社会で「自由」として成立するためには、条件がある。当たり前のことだ。にもかかわらず、この現実からことさらに目を逸らし、観念的な「自由」を唱え続けようとする、いわゆるリベラルといわれる政治家や文化人たちの顔を、私は具体的にいく人も思い浮かべることができてしまう。
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