イソップ童話の作者とされる、古代ギリシアのアイソポスの寓話の言葉である。ロドス島の競技会で大跳躍をしたと吹聴する者に、まわりの人がではここがロドスだと思って、ここで跳んで見せろと言ったのである。ここで跳ばねば、どこで跳ぶ、人生もまたしかり。あの仕事をさせてくれたら、あの機会に恵まれたら、と話を他にふる前に、今、ここで自分の取り組んでいることに専念する。この言葉は、ヘーゲルが『法の哲学』で引用していることでも有名である。どこかに理想の社会を求めるのではなく、今、実現された社会の理性的な秩序を把握し、そこを足場にして現実の只中で生きよという意味である。まずは与えられた現実の中で、自己のパフォーマンスを最高度に発揮することである。ここで跳べない人間が、他のところで跳べようか。
https://imidas.jp/proverb/detail/X-02-C-10-2-0006.html
(虎(とら)の住んでいる洞穴(どうけつ)に入らなければ虎の子を捕らえることはできないから)思いきった危険を冒さなければ、めざましい成果はあげられないことをいう。
人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。▽もと仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では悪いほうに用いられることが多い。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%9B%A0%E6%9E%9C%E5%BF%9C%E5%A0%B1/
世の中に人の来るこそうれしけれ とは言ふもののお前ではなし
https://meigennavi.net/word/03/035870.htm
知らないと云(い)う事と忘れたと云(い)う事は違う。
忘れるには学問をしなければならない。
忘れた後に本当の学問の効果が残る。
(「虎が住んでいる穴に入らないなら虎の子を得ることは出来ない」ということから)危険な事を行なわないなら成功できない事の例え。
https://www.creema.jp/item/12961307/detail
平らな道でもつまずくことがある、人間の運命もそうしたものだ
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