自分固有の怒り
社会的に「悪い」とされていることに対してみんなと一緒に怒るのが善良な市民ですが、私が提唱しているのは、むしろそういう世間的怒りとの差を大切にして自分固有の怒りを育てなさいということ。『怒る技術』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) October 8, 2016
社会的に「悪い」とされていることに対してみんなと一緒に怒るのが善良な市民ですが、私が提唱しているのは、むしろそういう世間的怒りとの差を大切にして自分固有の怒りを育てなさいということ。『怒る技術』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) October 8, 2016
時間認識は徹底的に「想起」という作用を中心に成立し、「想起している時」が現在であり「想起の対象の時」が過去である。よって、想起能力のないものは時間の認識能力もない。過去を形成する能力のないものは時間認識能力もない。『時間論』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) March 28, 2023
できれば、「書く」ことです。そして、それを何度も読み返すのです。あなたは、そのたびに怒りを新たにすることでしょう。しかし、新鮮なかたちのままに生け捕りにされた怒りは、崩壊することはない。腐敗することはない。そこに、いつまでも具体的な相貌が保持されています。『怒る技術』
— 中島義道bot (@gido_bot) March 10, 2023
怒りを消さないこと、怒りを忘れないことです。怒りを圧し殺すことはなるべくしないほうがいい。軽い怒りは小出しにしていくのがいちばんですが、とくに重い怒りは正確に概念化しておき、効果的な放出の仕方を探究しつつ、その機会が来るまで待って大切に備蓄することが必要です。『怒る技術』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) November 10, 2021
ある人を殺したいほど憎いのだったら、ただちに殺人を実行するのではなく、自分の憎しみと正確に向き合うこと。その憎しみがどういう構造をしており、どういう原因によって成立し、殺すことによってどんな効果を及ぼすことになるか、時間をかけて冷静に観察すること。『怒る技術』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) November 15, 2022
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7
反証可能性(はんしょうかのうせい、英: falsifiability)またはテスト可能性[1]、批判可能性[1]とは、「誤りをチェックできるということ」であり[2]、「科学的理論は自らが誤っていることを確認するテストを考案し、実行することができる」という科学哲学の用語である[3]。
科学哲学者カール・ポパーは、反証可能性を科学的基本条件と見なし、科学と非科学とを分類する基準とした[4]。反証可能性は、「ある言明が観察や実験の結果によって否定あるいは反駁される可能性をもつこと」とも説明される[4]。ただし、ポパー自身も後年、反証可能性だけでは科学と非科学を厳密に区別できないこと、および補助仮説の修正が実際の科学的慣行に不可欠であることを認め、厳格な境界基準を実質的に撤回した[5]。
ポパーがこの基準を提案した動機は、論理的な正当化が困難な帰納の問題(英語版)を回避することにあった[6]。彼は、科学的方法から帰納を排除し、演繹論理である後件否定のみによって科学的知識の成長を説明しようとした[7]。これは、有限の事例から普遍的な法則を「証明」することはできないが、たった一つの反証事例によって法則を「否定」することは論理的に可能であるという、反証の非対称性に基づいている[8]。
「絶対的」な真を前提とする(または反証可能性を否定する)ことは、宗教や疑似科学でよく見られるが[3]、一方で反証可能性を肯定する立場は、「絶対的」な真を求めず、「漸近的」な真を求め続ける[9]。反証可能性を肯定する立場は「批判的合理主義」、「懐疑主義的批判」などと呼ばれている[10][11]。なお反証可能性という概念自体も、自らが批判・反証を受けて改良される可能性を認めており、反証可能性が絶対に正しい立場であるという保証は無い[10]。
反証可能性は他者論との関連で論じられることもあり[12]、このような観点から見れば、「誰にも否定されない絶対的な真理」を伝えることは不可能である[13]。平易な意味では「どのような手段によっても間違っている事を示す方法が無い仮説は科学ではない」と説明される[要出典]。
反証可能性についての評価は分かれている[9]。反証可能性を認めることによって、科学は真理を明らかにすることを放棄しているため悲観的だという評価もあるが、科学は絶え間なく真理へ接近し続けているため楽観的である、とも評される[9]。
例
反証可能性がある発言の一例として、
「すべての朝には太陽が昇る」
「もし、一日でも太陽が昇らない日があれば、この言明の正しさを否定できる」
という発言は、自らがテスト(反証)される可能性を認めている[14]。この発言は、反証可能性という基準で見れば、科学的発言である[14]。
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