他者をあまりにも安易に理解してしまう
わが国に対話が欠けているのは、他者を理解しようとしないからではない。むしろ、他者をあまりにも安易に理解してしまう、正確に言えば理解していると思い込んでしまうからなのです。『「うるさい日本」を哲学する』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) May 24, 2022
わが国に対話が欠けているのは、他者を理解しようとしないからではない。むしろ、他者をあまりにも安易に理解してしまう、正確に言えば理解していると思い込んでしまうからなのです。『「うるさい日本」を哲学する』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) May 24, 2022
どんなに自分が努力しても、相手が努力してくれるとは限らないとわきまえた上で、生きていくというのが強者。弱者は逆で、自分は努力しないで相手の努力ばかり期待している人です。『生きてるだけでなぜ悪い?』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) May 10, 2022
苦悶はほとんど常に、自ら与えるものより幾分でも多く得られないことに原因している。つまり、うまい商売にならなかった気持ちだ。
— Paul Valéry (@Valery_BOT) May 8, 2022
学問上の「達成」は常に新しい「問題提出」を意味する。それは他の仕事によって「うち破られ」、時代遅れとなることを自ら欲するのである。学問に生きる者はこの事に甘んじなければならない。
— マックス・ヴェーバーbot (@MaxWebr_bot) May 5, 2022
また、ハイエクは法の下の自由を実現するためには「法の支配」も重要であると論じた。法の支配は立法権を含む全ての政府権力の制限を構成するものであり、全ての法律が特定の「原理」に従うことを求める。この「原理」は明文化された規範ではなく、曖昧にかつ漠然と人々に知覚されるものである。
— 政治思想Bot (@Seiji_shiso) May 4, 2022
人はメロディを約言することはできない。
— Paul Valéry (@Valery_BOT) May 2, 2022
「無」のうちに希望を見いだすこと、このことは、十歳のころから考えてきた。何もないこと、それは結構すばらしいのかもしれない。何もない状態が延々と何億年も続くのではない。時間もないのであるから、持続もないのである。ただただ何もないのだ。それは悪いことではない。『不幸論』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) May 1, 2022
私は、親をはじめ、他人に心配かけまいと思ったことがない。私のことを心配する人は、勝手に死ぬまで心配しつづければいいのです。それは、その人の趣味の問題。私にはまったくかかわりのないことです。『私の嫌いな10の人びと』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) April 26, 2022
病気によって、空間的≒時間的環境は、その実存論的構造において障碍されるわけだが、障碍されるのはこれにとどまらず、共同世界、つまり社会的・文化的宇宙もそうである。患者にとって、他人は対話の相手ではなくなり、ある任務の協力者でもなくなる。-精神疾患と心理学-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) April 26, 2022
哲学的人間学の立場から加えられる三つの人間の定義:死の不安に怯える動物ホモ・モルタリス(死すべきヒト)、夢をみる動物ホモ・ソムニアーンス(幻視のヒト)、歌う動物ホモ・カンターンス(詩と呪文を唱えるヒト)。-ホモ・モルタリス-
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) April 17, 2022
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