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リハビリ

2018年12月18日 (火)

歩く動作

2018年12月16日 (日)

何をもって「治った」とするか

リハビリテーションの定義:一度失った能力を再び回復させる
「一度失った能力を再び回復させる」の意味は以下の二つに大別される。
①障害の後遺症を残したまま日常生活を行う方法
②障害の後遺症を回復させて正常に近い状態に戻そうとする方法
①:回復可能と言われている時期までは積極的にリハビリを行うが、それ以降は後遺症として残存する障害を受容させ、機能維持を目的としたリハビリを行う。
②:障害受容させるのではなく、患者の可能性を追求。
スポーツマンシップに則るなら、②の立場を貫くべきだ。「決して諦めない」とか「希望を捨てない」という価値観を鰯の頭のように信じるのも口にするのも容易だろう。
だが人生はスポーツではない。
限られたリソースをどう配分するか。社会復帰の美名の下に、そもそも復帰すべき「社会」自体を失うリスクだってあるのだ。

2018年12月15日 (土)

ハムストリング

大腿(だいたい)後面にある、大腿二頭筋、半膜様筋、半腱様筋などの総称。スポーツトレーニングで重要な筋肉

住宅改修

しかしその言いなりになっていたら、今頃、俺は風呂にも入れていないのだ。一時帰宅時に妻と改修プランを検討し、それを実施したおかげで今は一人で入浴できている。

2018年12月13日 (木)

睡眠は大事

2018年12月12日 (水)

装具

俺は入院中に言われるがままに装具を作ったが退院後は(誇張表現でなしに)全く使用していない。

身体地図


人の体の中には「地図」があります。といっても、ここに心臓、ここに腎臓、ここに胃袋、ここに○○○コといった解剖図ではありません。ボディ・マップとも表現されているようですが、私はン十年前の学生時代、心理学の講義で初めてこの言葉を知り、「へー…」と思いました。
私も「身体地図」と聞いた瞬間、「解剖図のことかな…」と思ったのですが、簡単に言えば「自分の頭は今ここでこうなっていて、自分の右手は今ここにあって、物をつかんでいる」「自分は今、中腰になっている」と云ったように「自分の身体の状況を把握する事」です。と同時に「外部と自分を区別できる事」です。「何だ、そんなことか」などと思ってはいけません。これは、当然、運動能力にも関わることですし、健全な身体能力を維持できているという証なのです。のみならず、精神の状態にも影響する事なのです。
もちろんそれが物理的な器質的損傷によって損なわれることもありますけど、それは失った部分であり、全体としては統合されています。ちなみに「幻肢」というものもあり、「幻影肢」とも云うようですが、例えば腕を事故で切断した人が、まだ腕があるように感じることです。これも身体地図の中の感覚として残っているからでしょう。
ここまでの話ならそれほど「不思議」とも感じない、人間が当然持っている生物としての能力だということで終わりなのですが、前述した通り、それだけで終わりの話ではなく、これが人の精神状態にも大きく影響するということがあるのです。つまり、この身体地図を失う状況になると、同時に精神の安定も損なってしまうようです。もちろん、精神の安定を失うから、身体地図を失ってしまうのか、その逆なのかは「鶏と卵」になってしまいますが、そこはおそらくバランスという意味では「同列」なのだと思います。
この「身体地図」なるもので興味深かったのは、確か(記憶が少々曖昧…)「ブラック・ルーム」という実験の話です。
どのような実験かと云いますと、心身ともに健全な被験者を真っ暗な部屋に入れます。この部屋は真っ暗なだけではなく、「熱くも寒くもなく」「湿度も快適」「何の音もしない」、外界の刺激というものから完全に遮断された空間です。
その部屋、ブラック・ルームに入れられた被験者は皆、最初は「かなり快適な空間」と感じるようです。そして、ほぼ全員が寝てしまうそうです。しかも熟睡。夢は見るようですが。しばらくは寝て起きてを繰り返し、快適な状況に爽快感さえ覚えるようです。
しかし、それが1日以上(個人差はあるでしょうね)経つと、今度は何故か「不安感」に襲われ始めます。どうしてそうなるのか、本人には分からないそうですが、次第に不安感が増してゆき、それが「恐怖」に近い感情に変わっていくそうです。
当然、実験ですから、被験者の安全は確保して行われますけど、その「恐怖」はやがて「情緒不安定」「神経症」的な症状を見せ始め、そこまでは行かないでしょうが「発狂」の可能性さえあるそうです。
何故でしょう? 最初は「快適」「爽快」とさえ感じていたのが、どうして「不安」「恐怖」といった感情に変化してしまうのか。
結論から言えば、原因は「身体地図の喪失」だそうです。被験者はその殆ど(例外は無かったような…)が、最初の快適さから「不安・恐怖」へと至る過程で、自分が今「どのような格好をしているのか」が分からなくなるそうです。下を向いているのか、上を向いているのか、手はどこにあるのか、足はどういう格好をしているのか…。挙句には、外部と自分の境、自分の身体が「無くなったような」感覚に陥ってしまうようです。
これは想像するしかないのですが、「自分がいる」というのは、「目で見て」という直接的なことよりも、脳が総合的に感じているのでしょう。もちろん視覚的なものも重要でしょうが、音とか、熱い寒いとかといった「外部からの刺激」によって、「自分という存在」を生理的に認識しているということです。ブラック・ルームの中でその「外部からの刺激」を全て失った時、「自分という存在」の認識である「身体地図」を失ってしまうのだと考えられます。
その「外部からの刺激」とは「ストレス」です。つまり、よくストレスは「悪者」扱いされますが、それは「過剰」なストレスで、生物としては適度なストレスがないと「身体」というか、「統合された精神活動」に不具合を生じてしまうのでしょう。
「引きこもり」と、この「ブラック・ルーム」の本質は違うと思います。「引きこもり」は過剰なストレスからの緊急避難がその殆どの原因ではないかと推察します。その後どうなるのかは個々人しだいです。
「人の存在」とは哲学の永遠のテーマでしょうが、その存在を支えているのは「外部からの絶え間ない刺激」ということになります。デカルトの「吾思う、故に吾あり:コギト・エルゴ・スム(Cogito,ergo sum.)」の言葉は、「私は世界を感じ、世界に向かって考えている。だから私は存在する」とでも訳せば、まさにこの「身体地図」を健全に保っているということなのでしょう。まあ、そんなに単純なものではないと思いますけど…。
ちなみに、WEBで見かけたのですが、「身体地図とは車両感覚のようなものでしょうか」という質問がありましたが、違います。もちろん「身体地図」を失えば自動車は運転できませんが、正確には「車両感覚(あらゆる運動)は身体地図によって把握されている」って所でしょうか。
ところで、私は自慢したいほどの方向音痴ですが、もしかして身体地図が間違っているのでは…。

リハビリ革命

2018年12月11日 (火)

脳の可塑性

経験に応じて脳は変化する――。今では当たり前に思えるだろうが,脳が自らを再構成する能力には,もっとドラマチックな意味がある。
 手術や薬の助けを借りるまでもなく,脳は一生を通じていつでも大きく改変できる。必要となれば,脳の各領域は以前とは異なる課題をこなすようになる。ある領域が機能障害を起こしたり傷ついたりした場合,別の領域が代役となって失った部分の役目を果たすことができる。こうした役割分担の変更は,脳梗塞によって言語・運動機能を失った人や脳性小児麻痺患者,指を1本ずつ動かすことができなくなった音楽家や作業員,強迫神経症患者や読字障害患者などで見つかっている。知的にも肉体的にも厳しい訓練を重ねることによって,彼らは失われた機能を取り戻した。
 なぜこうしたことが起きるか。それは脳に可塑性があるからだ。化学物質の変化から新しい神経細胞(ニューロン)の形成,より大きな領域で起きる神経回路の再配線まで,脳内で起きるあらゆる変化を指す。
 かつては,遺伝子によって描かれた脳の設計図があり,脳はそれに基づいて形作られると考えられていた。しかし脳内地図は大きく変化する。障害を乗り越えられたのは,患者の脳内地図が変化したことを示す。
 こうした訓練は小児麻痺などの影響で読字障害になった子供にも効果があったとの報告もある。一部の科学者はさらに訓練やゲームによって統合失調症や自閉症,加齢に伴う物忘れを改善できるかどうかを調べている。今のところ,結果は公表されていない。しかし,そのアイデアが実を結んだら素晴らしいに違いない。

拡張する身体


確定した「人間本来の身体」像を遺伝子の中に求めることは難しそ
うである。しかしたとえそうであっても、我々は日ごろ、自分の身体についての何がしか
の所有感を持っている。たとえ私の身体のあり方は、客観的には環境に応じて大きく変わ
り行くものだったとしても、それは私にとっては常に変わらず安定した一つの対象であり
続けるように感じられる。この主観的な所有感のもとになっていると考えられているのが、 身体図式(body schema)といわれる、脳内の身体表象である。 身体図式は、頭頂葉、運動前野腹側部、体性感覚皮質、島皮質などを含む広範な神経回 路網によってコードされると考えられている(Homes & Spence 2004, Berlucchi & Aglioti  1997)。とりわけ重要なのは頭頂葉であり、この領域への障害は自己の身体感覚を大きく変 えることが分かっている。たとえば身体失認の患者は、自分の身体の特定部位、例えば左
腕が相変わらずもとの位置についているにも関わらず、それが自分の腕であることを否定 したり、あるいはそれが誰か他の人の腕であると主張したりする(Graziano & Botvinick 2002)。また同様の部位を損傷することにより、過剰肢(身体部分が実際よりも多くあると 感じる)が生じるという報告もある。驚くべきことにこの患者は、あたかも腕や足が 3本 以上あるかのように、自分の肢の数を多く見積もるのである(Halligan et al. 1993, Sellal et al. 1996)。 以上の脳領域は、どのように身体表象をコード化しているのだろうか。これらの部位に
は、体性感覚や視覚などの複数の感覚情報に反応するバイモーダルニューロンが存在する。
これらのニューロンは特定の受容野を有しており、一定の空間内の刺激に応じて発火する
のであるが、この受容野の範囲が異なった感覚のモードを通じて共通しているのである。
例えば、右手の触覚に反応するバイモーダルニューロンは、右手周辺からの視覚刺激に良
く反応する。現在では、身体部位近傍からの複数の感覚刺激を統合するこうしたニューロ ンが、身体図式の基盤になっていると考えられている(Maravita et al. 2003)。 脳内の多くのニューロンが可塑性を有しているように、これらのニューロンも、環境と
経験による再編を受けている。実際、成長過程において、身体図式は身体の拡大にともな
って広がらなければならないだろう。しかしこうした身体感覚の変更は、もっと短期的な
間にも起こりうる。つまり我々の身体は、その主観的側面においても、確定された不変的 なものなのではなく、経験によって様々に変化しうるものなのである。 身体図式の柔軟性を示すものとして注目されているのが、道具の使用である。入來らは、 ニホンザルを用いた実験で、道具の使用が身体図式を変えることを示した(Iriki et al. 1996,  Maravita & Iriki 2004, 入來 2004)。この実験では、道具を使用していないときと使用してい るときで、サルの身体図式をコードするバイモーダルニューロンがどのような受容野を持
つかが調べられた。その結果、道具を使用しているときは、本来手の近傍のみに反応して
いたバイモーダルニューロンの受容野が、道具の先端を含むように広がることが分かった。
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