退院当初は
しかし思えば5年前、退院してきた当初は、居間と書斎を杖歩行で行き来することさえままならなかったのだ。
しかし思えば5年前、退院してきた当初は、居間と書斎を杖歩行で行き来することさえままならなかったのだ。
2018年4月21日に退院し、来月で丸5年が経つ。
入院中は一日も早く退院をと願ったが、今思うと入院中の方が良かったこともある。それは「希望」があったこと。それは短期的には退院することであったが、その後には完全にとはいかなくとも身体機能の回復があり、ピタパタの活動も当然に再開できると思っていた。だから病院のベッドでも、つらつらと原稿の材料を書き留めていたのだし。しかしその望みは今ではもう完全に潰えてしまった。
何をするにも日常生活のいちいちが不便で、不便から完全に逃れようとするならすなわち日常生活そのものから逃れることになってしまう。
ワイシャツを買ってから東府中へ。東府中から分倍河原、南武線に乗り換えて川崎へ。
3月17日(金)定期診断で病院へ。薬をもらってきた。
「所属」になろうが、なるまいが、書きたいのだったら書けばいい。この5年間だってそうだったはずだ。それでなんの結果を残せたか。要するにおのが怠惰を環境のせいにしているだけではないか。
過去を振り返ってばかりと見えるかも知れぬが、病前と病後とでは大きな断絶があり、自己同一性にも確信が持てぬような状態なのだ。この5年間は、それを取り戻す広義のリハビリの時期であった。
終わった人生を生きている。そういう感覚。これをなんと名づければいいのだろうか。
最近のコメント