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日記

2023年3月28日 (火)

退院当初は

しかし思えば5年前、退院してきた当初は、居間と書斎を杖歩行で行き来することさえままならなかったのだ。

希望

2018年4月21日に退院し、来月で丸5年が経つ。
入院中は一日も早く退院をと願ったが、今思うと入院中の方が良かったこともある。それは「希望」があったこと。それは短期的には退院することであったが、その後には完全にとはいかなくとも身体機能の回復があり、ピタパタの活動も当然に再開できると思っていた。だから病院のベッドでも、つらつらと原稿の材料を書き留めていたのだし。しかしその望みは今ではもう完全に潰えてしまった。

不便

何をするにも日常生活のいちいちが不便で、不便から完全に逃れようとするならすなわち日常生活そのものから逃れることになってしまう。

2023年3月19日 (日)

調布で

ワイシャツを買ってから東府中へ。東府中から分倍河原、南武線に乗り換えて川崎へ。

2023年3月17日 (金)

病院

3月17日(金)定期診断で病院へ。薬をもらってきた。

2023年3月16日 (木)

江田へ

3月16日、退院後初の江田。横浜新都市脳神経外科病院を訪れてみた。溝の口から田園都市線で。

20230316
ここを退院してからじきに5年になる。用事があったわけではないが、何か自分の中での区切りではじめて訪れてみた。一応、ちょっとだけ中にも入った。駅から病院までの歩道がひどい。川崎市もたいがいだけど、横浜もか。246号線に投げ出されそうになり、恐怖を感じたぞ。しかしその「恐怖」の受け止め方が昔と今とでは違う。それを作品に書かないでどうする、という気もするのだけれど、そんな能力も残存しているとは思えないのだ。どこぞの誰かみたく自己満足の域を出ない愚にもつかぬものを書き残すくらいなら、何も書かぬ方がマシである。

2023年3月14日 (火)

どのような

「所属」になろうが、なるまいが、書きたいのだったら書けばいい。この5年間だってそうだったはずだ。それでなんの結果を残せたか。要するにおのが怠惰を環境のせいにしているだけではないか。

余命

この記事によれば、平均余命は10-12年程度。ということは、2017年に発症した患者の寿命は概ね長くとも2029年に尽きることになる。北海道新幹線の札幌延伸が2030年の予定ということだから、私の寿命はこれに届かない蓋然性があるということだ。

今、副業を失い、求職中の私は、モノカキの立場を封印して安定した収入源を得ようとしている。だが、果たしてそれでいいのかという疑問がつきまとう。文化庁創作奨励賞特別賞受賞の知らせを電話で受けたときのことを忘れてはいない。少なくとも若手劇作家と呼ばれた35才からこっち、「書く」ことをアイデンティティとして生きてきたわけだ。

2023年3月10日 (金)

傍目には

過去を振り返ってばかりと見えるかも知れぬが、病前と病後とでは大きな断絶があり、自己同一性にも確信が持てぬような状態なのだ。この5年間は、それを取り戻す広義のリハビリの時期であった。

終わった人生

終わった人生を生きている。そういう感覚。これをなんと名づければいいのだろうか。

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