葬儀
享年77。晩年は常に死の予感と共にあった義母であるが、にもかかわらず、やはり死は唐突に訪れる。苦しまずに逝ったというのが不幸中の幸いであった。
葬儀は札幌にある妻の実家近くの斎場で行われた。葬儀屋の担当者がいい人でよかった。むろん「仕事」だから、きっちりお金は取っていくのだけど、こうした儀式は素人にはわからないことが多く心細いから、頼りになってありがたい。
祭壇には、故人が生前受賞した勲七等宝冠賞の賞状が飾られた。棺を斎場に運ぶ前、妻の実家で、納棺師の仕事をはじめて見た。
ハッキリと告げたはずだ、あんたには関わらぬが吉であるという判断に至ったと。
その理由を今一度述べることはしない。述べたところでまた新たな曲解の材料を与えることにしかならないからだ。
宮台真司氏の『制服少女たちの選択』が出版されたのが1994年。それから30年近くの時を経た今〈ジャパゆきさん〉的お涙ちょうだいの物語を創作の構想として語り、そんな浪花節がアプリオリに社会正義たると信じて疑わぬ、その時代感覚のなさ、批評性のなさが陳腐だと私は言うのである。もっとも、てにをはもままならぬ自称作家が何を書こうが誰も知ったことではないし、自己満足の遊戯など好きにすりゃあいいのであるが。
引っ越してきたのが2001年だから、約20年前、カーテンやら家具やらを物色するため、自転車で稲城長沼周辺まで足を伸ばしていたのだな。ストリートビューで稲城長沼駅周辺を「散歩」して見かけた家具屋やら蕎麦屋やらに確かに入った覚えがある。
論理的思考ができないから非合理を非合理と理解することもできない。論拠を問うても通俗道徳を盾に信念の強調を繰り返す。端的にいってバカである。そのくせ肥大した自己愛充足のために藁人形論法でマウントをとりたがる、いわば卑怯な捏造体質。バカなだけならまだいいが、バカで卑怯は始末に負えぬ。
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