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コラム

2019年4月25日 (木)

何かの比喩とかレトリックでなしに


「息の仕方が分からない」ということはあり得るのだな。

2019年4月24日 (水)

ひょっとしたらまたいつか

必要になるかも、と思って不要なモノが場所を取る。「いつか」は来ないかもしれないし、だから極力整理してしまおう。モノは物でもあり者でもある。

あのときああしておけば式の

明確な後悔はできないから、あれがいけなかったか、これが祟ったかなどと、ありもしない因果関係を探してしまうな。

バカな上に卑怯

ある者を貶める文脈で、バカとかアホとかいう意味で「知的障害」の概念を召喚しておきながら、差別の意図はないなどと、検証不能な「気持ち」の話に逃げ込むなど、バカな上に卑怯である。

2019年4月23日 (火)

zeldaの『 夜の時計は12時』

を聴くといつも、北大の新サークル会館へ向かう途を思い出す。昔、初めてそこへ行く途中、おそらく軽音楽研究会の誰かがコピーしてるのが風に乗って聞こえてきたのだ。

ライブハウスで

シューゲイザーの轟音を浴びながら身体を揺らす「遊び」など、思い立ったらいつでも簡単にできるもんだと信じて疑わなかった。

もうずいぶん長いこと

戯曲を書いていない。ピタパタ旗揚げ前は、常に何か書いていた。上演の予定はなくとも、戯曲賞への応募という目標がペースメーカーになっていた。そうして実際、いくつかの作品が書き上がり、後に自ら上演することにもなったのだ。

事実

と断定するならそれなりの根拠を示せという話をしているのだ。そんなことすらわからぬアホが漫画チックな敵/味方の二元論で吹き上がっている。

べつに死にたいとは思わない。

けれども正直、この不自由な生の終わりを夢見てしまう。

2019年4月22日 (月)

水道水

退院から一年経った。
退院したばかりの頃は、給水器に並ぶことなくいつでも好きなだけ水道水をごくごく飲める自由に感動したものだが、さすがにそれには慣れた。身体の不自由さと絶望感にも慣れてきた。

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