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コラム

2021年1月 6日 (水)

よい死に方

べつに死にたいと思ってるわけじゃないが、もしも遠くない未来に死が待っているのであれば、せめてよりよい死に方をしたいと望むということだ。

描写

描写というものが単に話の筋の伝達を円滑ににするためのものという認識で、逆に情報の受け手の「時間の停滞」いわば「読みにくさ」を意図してされる可能性など思いもしないし、その、「意味」が理解できないならば、できないでいいから、黙ってここを通り過ぎろ。関わるだけ時間の無駄だ。タルコフスキーとも金井美恵子ともロブグリエとも無関係の人生はあり得る。そういう世界で勝手に生きるがいい。

2021年1月 4日 (月)

関わらぬが吉

ハッキリと告げたはずだ、あんたには関わらぬが吉であるという判断に至ったと。
その理由を今一度述べることはしない。述べたところでまた新たな曲解の材料を与えることにしかならないからだ。

2021年1月 2日 (土)

軽々に

「ナチス」を口にしたがるヤツは私の知る限り例外なくバカである。

陳腐

宮台真司氏の『制服少女たちの選択』が出版されたのが1994年。それから30年近くの時を経た今〈ジャパゆきさん〉的お涙ちょうだいの物語を創作の構想として語り、そんな浪花節がアプリオリに社会正義たると信じて疑わぬ、その時代感覚のなさ、批評性のなさが陳腐だと私は言うのである。もっとも、てにをはもままならぬ自称作家が何を書こうが誰も知ったことではないし、自己満足の遊戯など好きにすりゃあいいのであるが。

2020年12月30日 (水)

過去の栄光

というほどのものではないにせよ、少なくともアイデンティティを支える矜恃たりえる客観的事実があるならば、それにすがって生きるしか、自己同一性の先にわずかな未来が開ける蓋然性がないのだ。もはやそういう余生の中にいる。そういう自覚がある。

今のマンションに

引っ越してきたのが2001年だから、約20年前、カーテンやら家具やらを物色するため、自転車で稲城長沼周辺まで足を伸ばしていたのだな。ストリートビューで稲城長沼駅周辺を「散歩」して見かけた家具屋やら蕎麦屋やらに確かに入った覚えがある。

2020年12月29日 (火)

足手纏い

その意味では、なるほど私は既に余生を過ごしているのだろう。それはまあいいのだが、死体を引き摺っているような具合だから何をするにもひとの足手纏いになってしまう。社会との関係において既に死んだ身体であるのだから、よきタイミングでもう、人生そのものも終わりにしたいものだ。

2020年12月28日 (月)

バカで卑怯

論理的思考ができないから非合理を非合理と理解することもできない。論拠を問うても通俗道徳を盾に信念の強調を繰り返す。端的にいってバカである。そのくせ肥大した自己愛充足のために藁人形論法でマウントをとりたがる、いわば卑怯な捏造体質。バカなだけならまだいいが、バカで卑怯は始末に負えぬ。

走るイメージ

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