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経済・政治・国際

2016年11月 6日 (日)

茶番劇

 
バカが選んだバカな議員が、バカを選んだバカな有権者にアピールするというバカな図。
もっとも民主主義っていうものは構造的にポピュリズムなわけで、こんな茶番劇で巻き上げられる木戸銭も「団体鑑賞の会費」として引き受けねばならんのだろう。
要するに、こうしたシャカイハエンゲキを観たがる客すなわち有権者がこの国にそこそこ存在するってことだ。
そしてその「観客」は、我々がどんなに言葉を尽くしても「イノセントな国民/悪い政府」という幼稚な虚構=児童ブンガクを相対化できない。そういう突き抜けた頭の悪さだから、次もまた民進党だか共産党だかに投票し、「悪と闘う」のでしょー。

2016年8月28日 (日)

失望

 
端的にいって焼きが回ったんですね。いつのまにか明治学院大教授だし。島田雅彦は法政でしたっけ? 大学教授になってアガリってパターン、小説家にやたら多いなあ。
 
『彼らがやった重要なことは、いつの間にか「特別」になっていたデモを、再び「当たり前」にしたことだと思います。民主主義や人権を抑圧し、非常に重苦しい社会へと変わっていく流れを、ちょっと押し返しました。』
『反対していた法案が通ったから「負け」と批判するのは、実は現実を無視したロマンチックな考えではないでしょうか。』
 
「民主主義や人権を抑圧し、非常に重苦しい社会へと変わっていく流れ」ってどこにあったんですかね?「抑圧」だとか「重苦しい社会」だとか、そういう自己都合に基づく現実の歪曲こそがロマンチックな被害妄想ではないか。
 
私が大学生の頃って、たしかにデモって「特別」でした。といっても80年代末の北大だと「泊原発」がありましたけどね。デモの参加者が民青つまり共産党クサイのは今も昔も変わらない。シールズと一緒です。
そういうのがダサイって「空気」もたしかにありました。その「空気」の成分は、まさに高橋源一郎らが牽引したポストモダン的な雰囲気ですよ。
価値は相対的なものに過ぎず「正しさ」なんて容易に決定することができない、そういう風潮が若者に善悪の二項対立でものごとを声高に主張するのを躊躇わせたんです。
 
ポストモダンも今じゃ「ポモ」なんて略され、揶揄されますけども、私はあれが必ずしも無意味だったとは思ってません。むしろシールズみたいな独善的思考態度より遙かにマシだったと思ってます。
「私」は常に括弧に入れられていたから、自信を持って何かを決定することはできないけれど、ベタで短絡的な「正義」に簡単に絡め取られるのは避けられた。
 
ところがそのポストモダンの牽引者が、己の青春の燃えカスを今の若者に勝手に託し、ノスタルジックにシールズ擁護なんかする。
筑紫哲也がサブカルにすり寄った『若者たちの神々』を思い出します。あれも気持ち悪かったあ。
 
もう、うんざりなんですよ。ほんとうにあなたたちには失望しかない。まあ、大人になった息子に相手にされなくなったから孫と遊んで余生を過ごしてるのかも知れないが。

2016年8月23日 (火)

「『被曝で白血病』はデマ」「よくなった部分も伝えて」 ルポ漫画「いちえふ」作者の竜田一人さん、原発報道に疑義

 
「こういうことがあると、『原発で被曝(ひばく)して白血病』というのだけが伝えられる。でも、白血病と原発での作業との科学的な因果関係を国が認めたわけじゃない。労働者を守るために、因果関係が立証されなくても、労災を認める基準があるだけなんです。報道でちゃんとそう伝えてくれないと、誤解される」
 
***
 
そして案の定、そういうおバかさんをたくさん目にしました。
 
こないだ私はちょっとポストモダンと懐疑主義について書きました。行きすぎた相対化により何も決定できなくなってしまった。茶化すだけ茶化して「逃走」したんだ、と。
じゃあ、なんで決定できないのか? 
決定の根拠を「絶対」的な正義に求めるからでしょう? すべての価値は相対的なものであるとしながら、ここに矛盾がある。
 
80年代的「軽さ」の反動としての「重さ」はダメなんだと私は思ってます。名指ししますよ。高橋源一郎や島田雅彦らのことを私は言ってるんです。
 
「私」は常に判断を間違える可能性がある。けれど、とりあえず手持ちの情報から最大限合理的に考えることはできるはず。これこれこういう思考のプロセスを経てこういう結論に至ったということは「私」個人の責任においていえるわけです、「正義」になんか依らずとも。
そうして相対的に過ぎない価値のひとつを選び取るわけですよ。そういう「私」の役を引き受ける。それが大人というもんです。
とりあえず私はそう思っています。

2016年6月28日 (火)

藤野発言

 
「共産党は国政選挙で党勢拡大しているからと、調子に乗りすぎた。それが藤野発言につながった」
共産党が民進党とつるみ、いっちょまえの政党ぶって馬脚をあらわしたのはむしろ良かったと思う。
「ソフト路線」などといっても思想がソフトになったわけじゃなく、単に猫を被っていただけ。そのことを国民に知らしめた。
これが投票行動に結びつかなきゃ日本の有権者もそれまでだ。それこそ民主主義の敗北。
 
「自衛隊をなくすには国民合意が必要。その合意ができるまで、違憲状態の矛盾を引き受けるということです」
赤旗はこんなことをいっている。
しかし翻っていえば〈自衛隊をなくす〉なんていう国民の合意が「ない」ことを共産党自身も認めているわけだ。
自衛隊の存在は国民に認められている。むしろ必要とされている。
経験に基づくそうした国民一般の「合意」があるからこそ、この藤野発言が「問題」とされるのだろう?
 
その国民一般の「合意」が憲法の本質だ。
「合意」に反する記述が憲法典にある、その状態が違憲なんだよ。
憲法九条こそが憲法違反というのはそういうこと。わかる?

2016年6月25日 (土)

独裁

https://twitter.com/kakusanbuchoo/status/745506618473742336

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『政権を倒す勇者たちを見よ!』
幼稚でデキの悪い「勧善懲悪」の物語。
それに基づく「アベ政治を許さない」なんだってことがよくわかる。

だからそんなプラカードを持って街角に突っ立ってる演劇人を私はバカだというんです。
反体制という「体制」の側につき、「平和」を口実に閉じた集団内で互いの善人性を認め合ってるだけじゃないか。
いいオトナが不真面目すぎるんだよ。  
   
ところで共産党は「共産」党のくせに平気で「民主主義」を口にしますね。
じゃあ志位和夫が不破哲三から委員長を引き継いで16年間、党代表を決める選挙が一度でも行われましたか?
こういうのを独裁っていうんですよ。 

2016年6月14日 (火)

道義的責任

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2016/06/12/kiji/K20160612012769820.html

 
不信任決議案は都議の3分の2以上が出席し、4分の3以上が賛成すれば可決され、知事は辞職か議会解散を選択する。改選後の議会で再度、不信任案が可決されれば失職が決まる。
 
***
 
「道義的責任」なんてぼんやりした理由で辞職するより定量化された権力を根拠とする方が遙かにマシ。
で、なんで政治資金規正法の改正って話にならないのだろうか?
政治家にとって不利だから? まあ、それもあるのだろうけど、きっとそれだけじゃないと思うんです。
 
よくゼネコンの談合事件てありますね。あれ、なんでなくならないんでしょう? ゼネコンは悪人の集まりだから? んなわけない。 
 
ゼネコンのことには明るくないので自分の体験に基づく話を少し。
たとえば受注金額が数億円の通信システムを官公庁へ納入する。これを一社で落札すると独禁法に引っかかるから複数社で分割して受注する。
でもね、別会社でつくったシステムを繋げてすんなり動くってもんじゃないんです。糸電話じゃないんだから。なのにそういう前提なわけです。業者はお上の仕様書に基づいてつくってるだけなんだから、と。そういう建前。
 
けど「建前」じゃ済まない。国家予算で売りっぱなしってわけにいかない。だから事前に業者間でのすり合わせが必要になるわけです。そこにお上が立ち会うこともあるでしょう。当然、金の話だってしなきゃならない。
これ、週刊誌が悪意を持って書けば簡単に「談合」事件にできますよ。だってそもそもどこが落札するかわからない建前なのだし。
しかし業者は具体的に受注の見込みがないシステムを大金かけて開発なんかするわけないんですよ。
 
こうした業界固有の事情を、しかし関係者は話したがらない。
むろん「関係」してりゃあ誰もが問題を把握してるってもんじゃありませんし、むしろ「暴露話」なんて眉唾ですけど、詳細を知る立場にある者も、その事実確認的発話が行為遂行的に解釈され(つまり自己弁護と見なされ)、ワイドショウ・週刊誌的な「正義」の餌食になることくらいは容易に察しがつくので、「余計なこと」は話さない。
 
何も私は「談合」を認めるべきだと主張してるんじゃないんですよ。
「正義」の「餌食」とされた彼らもまたべつの局面では平気でそんな「正義」の側につく。
かように陳腐な「正義」の循環が、弁証法的な議論を妨げているといっているんです。
政治資金規正法にしろ独禁法にしろ、法の本来の要請と法律の文言とが乖離している、私はそう思ってます。
それを放置したまま「人間性」とか「資質」とかいってるのは、法治国家としてダメだろうと思うわけです。

2016年6月 1日 (水)

消費税率引き上げ延期

http://biz-journal.jp/2016/05/post_15302.html
 
消費税率引き上げの延期を決めた安倍首相を民進党は批判する。
じゃあ民進党は「引き上げるべし」という立場なのかといえば、そこは自民と同じく、「延期」という。
おまえは何を言っておるのかって話だが、安倍首相の「公約破り」がケシカランという。そしてそれはアベノミクス「失敗」の証左であると。
 
上武大学ビジネス情報学部の田中秀臣教授の指摘によれば、「アベノミクスの失敗ではなく、民主党(≒民進党)の失敗、その負の遺産がいまだに日本を汚染している」「安倍首相は民進党の負の遺産を過小評価していた。原発対応ミスや安全保障で日本をひっくりかえそうにしてた政権。その残した負の遺産を甘くみてはいけない」
 
そもそも「公約破り」せざるを得ない状況をつくりだしたのは民主党≒民進党に他ならないということだ。
アベノミクスが「失敗」というなら、それは民主党≒民進党の尻ぬぐいをしきれなかったってこと。
 
だから責任感じて、すみっこで肩身を狭くしてるならまだ可愛げもあるが、岡田代表をはじめとして民進党議員はどいつもこいつもまるでそういう自覚がない。
不必要にのびのびとしゃしゃり出てきては、偏差値バカ特有のくだらん屁理屈をいうのだけれど、「和製英語」の件などみると、どうやらその「偏差値」も怪しい。
つまり偏差値バカですらなく、単なるバカってことだ。

2016年5月24日 (火)

品性?

べつに舛添さんを擁護するつもりはないのだけど、「品性」だとか「器」だとか「道義的責任」だとか、そういうことかよって思ってしまう。
そうじゃなくて、メタレベルの「法の支配」の話じゃね?
前にも憲法のからみでこういうたとえ話を書いた。

***

コンビニのマニュアルに「未成年には酒を売ってはならない」って書いてあるとする。むろんこのマニュアルは法律と整合してる。
ある日、一組の親子連れが来店した。
レジにビールを持ってくる。
と、子供が親に「ボクが払う!」という。
親が子に小銭を渡し、子がそれをレジカウンターに置く。
店員「未成年には売れません」
て、言いますか? この状況で、売ったら法律違反になるんですか? 

***

メタレベルの法の支配に従うこと、つまり法の要請するところを曲解しないこと、それを「品性」というのかもしれないが、そういうぼんやりした言葉で思考するから話がとっちらかるのじゃないか。挙げ句に「人間性」やら、真偽のわからぬ出自やらを持ち出し、「だからか」と勝手に納得するのじゃないか。
それを思考停止というのだ。
あくまで「法」なのだ。法治国家なのだから。情緒の話じゃない。

2016年5月19日 (木)

封印

http://www.asahi.com/articles/ASJ5F5FSRJ5FOIPE01Z.html

地元では、事故の不安を抱えながらも、原発に頼らざるを得ない生活があり、「脱原発」の声が封印されつつある。

***

ふう‐いん【封印】
[名](スル)
1 封をした証拠として印を押したり証紙をはったりすること。また、その印や証紙。「書類を入れて―する」
2 (比喩的に)人目につかないように隠すこと。それまであった物事や言動を、表に出さないようにすること。「得意技を―する」「―された過去」
3 公務員が法律の規定に基づき、有体動産の現状の変更を禁止するため、その物の上に印章を押した標識を施すこと。また、その標識。

***

むろん「2」の意味で「封印」が使われてるわけだ。
この月舘彩子氏だか岡戸佑樹氏だかの記者は、原発=悪/脱原発=善という価値観をアプリオリなものと規定している。少なくとも私にはそう読める。
地元住民は生活のために「正しい」本音を隠さねばならぬ状況を強いられている。心は脱原発を求める善なのに、誰かが作ったこの薄汚い資本主義の現実に迎合して、悪の振る舞いをしなければならない。
アンビバレンツに苦しむ住民。
   
バカなのか?
なんなのだその汚れちまった悲しみに的センチメンタリズムは。
 
そもそも原発=悪/脱原発=善という価値観の自明性を疑うことからはじめてみろ、と何度いっても、教条的反原発の耳には届かない。
だからもう勝手にすればいい。知らん。

2016年5月16日 (月)

18歳選挙権

Q あなたが、最も良い印象を持っている政党はどれですか。1つだけ選んで下さい。
                            ★ ■
  答 1.自民党                  26  33
     2.民進党                   3   8
     3.公明党                   3   5
     4.共産党                   1   5
     5.おおさか維新の会            3   5
     6.社民党                   0   1
     7.生活の党                  0   1
     8.日本のこころを大切にする党      1   1
     9.新党改革                  --  --
    10.その他の政党               0   0
    11.印象の良い政党はない        60  40
    12.答えない                  1   2

 http://www.yomiuri.co.jp/feature/opinion/koumoku/20160510-OYT8T50028.html

自分が18歳のときはどうだったろう?
1986年。
最大の関心事は大学受験と女の子とへヴィメタルで、支持政党なんてもちろんなかった。
仮にあの頃の自分が今の時代にタイムスリップしたとしたら?
私と似た属性の少年少女の多くにとって、シールズみたいなクルクルパーが同世代人の代表みたいに言われることは不愉快だろうし、そんなもんに寄り掛かる民進党なんかを支持できるわけがない。

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