今日からまた仕事
連休中は晴天を貪るように外に出ずっぱりだった。
連休中は晴天を貪るように外に出ずっぱりだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル[注釈 1]が、1995年に現代思想系の学術誌に論文を掲載したことに端を発する事件をさす[1]。
ソーカルはポストモダン思想家の文体をまねて科学用語と数式をちりばめた「無内容な論文」を作成し、これをポストモダン思想専門の学術誌に送ったところ、そのまま受理・掲載された。その後ソーカルは論文がでたらめな内容だったことを暴露し、それを見抜けず掲載した専門家を指弾するとともに、一部のポストモダン思想家が自分の疑似論文と同様に、数学・科学用語を権威付けとしてでたらめに使用していると主張した。
論文の発表につづいてソーカルは、フランスのポストモダン思想家を厳しく批判する著作を発表し、社会的に大きな注目を浴びた。
外出すれば肌寒さで秋の深まりを感じる。さらに行きつけの食料品店ではもうおせち料理の予約受付がはじまり、年末の足音も聞こえだした。
https://agora-web.jp/archives/1475830.html
オスプレイをめぐる騒動をみても、日本人の心情倫理の伝統は根深いと思う。そこで問題になるのは客観的リスクではなく「地元の不安」であり、反原発デモも「子供の命を守れ」といった情緒的なスローガンで「原子力村」を攻撃する。原発事故で死者は出ていないというと、「あなたは被災者の前でそれが言えますか」。こうした運動のエネルギーになっているのは、「正義の味方」を演じる自己陶酔なのだ。
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