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&交換
https://note.com/ham6344/n/nc89351fb0e37
たとえば、ある言葉を使って何かを説明しようとするとき、説明すればするほど、さらに別の言葉が必要になりますよね。
そしてその別の言葉を説明するために、また別の言葉が必要になって……
この連鎖は、どこまで行っても終わることがありません。
こうした“意味の無限の後退”を、デリダは「差延(ディフェランス)」という造語で表現しました。
この言葉には、「異なる(differ)」と「遅れる(defer)」という2つの意味が込められています。
つまり――
「言葉の意味は、他の言葉との差異によってしか現れず、その意味は常にどこかへと先送りされる。」
事象の曲解に基づく自己完結したいわば妄想の物語に他人を回収し、そこから導き出されたらしい的外れな言説を「評価」と称して投げつけてくる。このバカげたストレスに精神を削られるのだ。 むろんその「曲解」が単なる「誤解」である可能性は考慮した。だからこちらの真意を説明したのだ。だが理解できぬらしい、あるいは、するつもりがないらしい。いずれにしても、言葉が通じない。どんなに言葉を重ねても、新たな曲解の材料を提供することにしかならない、と断じざるを得ない。打つ手なしだ。こういう人間には関わらぬが吉であるという結論に至ったわけだ。
「安倍さんのビデオメッセージを見て、山上は統一教会から逃げられないと知り、絶望し…」というエイト氏等の物語には全くリアリティがない。私は元信者であることを公言して大学教員になったが、一度も統一教会に追跡されると感じたことなどなかったし、そんな力などないのは最初から分かっていた。
— 仲正昌樹 (@nakamas2) November 27, 2025
事象の曲解に基づく身勝手な虚構の物語から導き出された的外れな思い込みを「評価」と称して押し付けてくる。こういうバカとはこれ以上関わりたくない。言葉を費やせばそれだけ、新たに曲解の材料を提供することにしかならない。そのことは経験から学んだ。こういう環境で話すことなどあろうはずがない。
3. 語彙だけ上滑りする
内面が点検されないまま、
周囲から拾った「良さそうな言葉」を
オウム返しにする。
臨機応変、寛容性、主体性、柔軟な対応、俯瞰、最適化──
これらが、
彼らの中ではただのガチャガチャのメダル。
光っているようで、中身は空。こういう人が言う“善い言葉”は、
内容でも信念でもなく、
ただの音の飾り。
3. 自分が出来てない部分にこそ執着する
人は、自分に欠けているものを語りたがる。
臨機応変さがない者ほど臨機応変と叫ぶ。
寛容性がない者ほど寛容性を求める。
これは心理学的にも典型的。
https://domani.shogakukan.co.jp/656777
わずか一つの物事から、他のすべてのことを推し量ることができる。一つの小さな事柄の調子が他のすべての場合に現れる。「彼のやることは―間が抜けている」
2025.12.13(土)10:00~
2025.11.29(土)13:00~
2025.12.2(火)18:00~
2026.3.1(日)14:00~
悼む権利と悼まれる義務ということについて考えた。
事象の曲解に基づく個人の虚構、それがたいそうお気に入りらしく、曲解を指摘されてもおのがストーリーを決して手放そうとはしない。そうしてそこから導き出された支離滅裂な「結論」を俗情との結託により正当化できると思っている。論理が破綻していても気づけない。自己愛が肥大しているのだろう。
思い出とも呼べぬ遠い昔の些細な記憶が断片的に何ら脈絡もなく思い出される。
高市さんに怒りの矛先を向ける”アーティスト”とやらもSmart Flashも全く見当外れ。高市さんの発言の仕方やタイミングの是非はどうあれ、全く関係ない音楽活動を中止させているのは中国政府。何故中国政府でなく、高市さんに怒るのか。中国政府が怖いので、八つ当たりか。https://t.co/c1Yn6jSJjp
— 仲正昌樹 (@nakamas2) November 25, 2025
1. 感覚と認知の連続線(グラデーション)
私たちの「感じる」「わかる」という体験は、
次のような連続した階層構造で成り立っています。
刺激 → 感覚 → 知覚 → 認知(判断・解釈)
このどの段階でズレや誤りが起こるかによって、「勘違い」「錯覚」「錯感覚」「幻覚」などに分類されます。
🔹 2. 各段階での違い
段階 例 何が起きているか 用語例
認知の誤り 人影を知人と思う 判断・思い込みのミス 勘違い
知覚の誤り 線路が遠くで収束して見える 実際の刺激を誤って知覚 錯覚(錯視)
感覚の誤り 刺激がないのに触感がある 感覚レベルで虚偽の信号 錯感覚・錯触覚
感覚の生成(幻覚) 誰もいないのに声が聞こえる 脳が感覚を「作り出す」 幻覚・幻触
つまり――
勘違いは上位の“認知”レベルの誤りで、
錯感覚は下位の“感覚”レベルの誤作動です。
🔹 3. 勘違いと錯感覚のあいだ(中間領域)
現実には、この二つははっきり線引きできないこともあります。
脳の知覚処理は「予測」と「修正」の仕組みで動いているからです。
たとえば、背後に気配を感じて振り向いたら誰もいなかった。
→ 感覚的には「触られた気がした」
→ 判断としては「たぶん風だった」と理解。
このような場合、脳は微弱な刺激(風・温度変化・筋肉の収縮)を“人の接触”として予測誤認したのです。
この段階が「軽度の錯感覚」ともいえます。
🔹 4. 医学的に「病的」とされる境界
次のような場合、「単なる勘違い」ではなく錯感覚・幻覚症状とされます。
外界に対応する刺激が一切ないのに、繰り返し生じる。
触感や声があまりに鮮明で、現実との区別がつかない。
体の同じ部位に常に感じる(神経の誤発火など)。
それによって生活に支障が出る、または恐怖を感じる。
これらは神経障害・統合失調症・てんかんなどの一症状として現れることがあります。
🔹 5. まとめ図(言葉で)
外界の刺激
↓
感覚(錯感覚・錯触覚)
↓
知覚(錯覚・錯視)
↓
認知(勘違い・思い込み)
上へ行くほど「心理的・認知的」、
下へ行くほど「神経的・生理的」な誤りです。
セキュリティホール(英: security hole)とは、情報セキュリティを脅かすようなコンピュータの欠陥をいう[1]。脆弱性ともいう[2]。
今の私は忌の際の私が病院のベッドで見ている夢の登場人物なのかもしれぬ。
2011年3月25日(金)~27日(日) 恵比寿・エコー劇場
作:今井一隆
演出:土田英生
美術:柴田隆弘
照明:塚本悟・渡邉雄太
音響:山本能久・楠瀬ゆず子
衣装:中村洋一
舞台監督:上野博志・川原清徳
宣伝美術:早田二郎
プロデューサー:菅野重郎(RUP)
制作:社団法人日本劇団協議会 松村久美子・松岡マリコ
協力:MMP/MONO/円企画/青年座/扉座/トム・プロジェクト/ファンキー・ジャム
【出演】
岡森諦(扉座)
五十嵐明(青年座)
濱本菜織
平栗あつみ(演劇集団円)
浦嶋りんこ
遠藤好(青年座)
荒谷清水(南河内万歳一座)
鳥山昌克(唐組)
2003年7月12日(土)~20日(日) 東演パラータ
作:今井一隆
演出:磯村純
美術:長田佳代子
照明:沖野隆一
音楽:平井真美子
音響:堀江潤
衣裳:竹内陽子
舞台監督:下前正人
制作:高橋俊也
【出演】
星野真広
古田美奈子
小池友理子
森良之
南保大樹
笹山栄一
青木成美
滝本珠貴
江上梨乃
2005年10月8日(土)~10月16日(日)青年座劇場
作:今井一隆
演出:伊藤大
装置:伊藤雅子
照明:中川隆一
音楽:後藤浩明
衣装:竹原典子
舞台監督:今村智宏
演出助手:千田恵子
舞台監督助手:高橋信濃
照明操作:富松博幸
音響操作:けんのき敦
大道具:有限会社C-COM舞台装置/桜井俊郎
小道具:高津映画装飾株式会社/中村エリト
特殊小道具:土屋公房/土屋武史
舞台写真:真野芳喜
宣伝美術:早田二郎
制作:佐々木聡一
【出演】
五十嵐明
川上英四郎
森脇由紀
石井指之
岸博之
大崎由利子
入江純
藤野節子
https://news.yahoo.co.jp/articles/88629023d47c306793108080d029819c08ef66f9
佐藤氏は「(中国の主張は)いわれなきイチャモン。日本の治安は悪化していないし、中国人が巻き込まれる事件など起こっていない。日本は冷静かつ毅然と事態に立ち向かうべき」と語った。
そのとおりだと思うが、同種の理不尽さを日常生活でも味わったばかり。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9F%E6%8E%A8%E5%AE%9A
実際に調査することが難しいような捉えどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算することである。例えば「東京都内にあるマンホールの総数はいくらか?」「地球上に蟻は何匹いるか?」など、一見見当もつかないような量に関して推定すること、またはこの種の問題を指す。
別称でフェルミの問題(フェルミのもんだい、英: Fermi problem/question/quiz)、オーダーエスティメーションや封筒裏の計算(英語版)[1]ともいわれる。
名前の由来は物理学者でノーベル物理学賞を受賞したエンリコ・フェルミに由来する[2]。フェルミはこの種の概算を得意としていた。
フェルミ推定はコンサルティング会社や外資系企業などの面接試験で用いられることがあるほか、欧米では学校教育で科学的な思考力を養成するために用いられることもある[3]。
フェルミ推定という語句が日本に入ってきたのは、『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス』[4]が最初だろうと細谷功は述べている[5]。ただしこのような考え方自体は、理工系学部では講義などで教えられていたり、ビジネスシーンではきわめて当たり前のように用いられていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A3%85%E7%BD%AE
「暴力装置」という言葉は、政治学や社会学において国家の物理的強制機能を指す用語[3][4][5][6][7][8]である。公権力が存在しない状態では、各個人や各集団が安全や秩序のためにある程度の暴力(武力、自衛力、治安維持能力)を保有して自力救済を行うことになるが、その結果として個人や集団間での見解や基準の相違、勢力争い、復讐などから様々な抗争が発生する。トマス・ホッブズはこれを「万人の万人に対する闘争」と呼び、社会契約論により王権を正当化した。公権力が個人や集団の武装を解除し、暴力(武力、自衛力、治安維持能力)を独占し一元管理する事によって、秩序が維持される。
他方で権力による暴力の独占は、非武装の個人や集団に対する決定的な支配構造ともなる。このためアナキズムは権力による支配を否定する。ジョン・ロックは人民の政府に対する抵抗権(革命権)を認め、アメリカ合衆国憲法では人民の武装権が記載された。
自由主義を重視する観点からは、公権力、特に暴力装置の使用は抑制的である必要があるとされる。社会学者のマックス・ヴェーバーは「暴力装置」を欠いた状態で、体制を継続的に維持することは不可能だとし、暴力的装置の独占的所有と行使は、近代国家の特質と定義した。近代国家では、物理的強制力の行使は政府にだけ認められ、他の制度や個人は国家が承認する限りにおいてのみその行使が認められるとした[9][2]。
「評価」と称して事象の曲解に基づく身勝手な妄想のストーリー、そこから導き出された的外れな決めつけ。こんなものにこれ以上精神を削られるのは耐え難い。
筋の通った対話ができないのか、わざとしないのか、いずれにせよ、言葉によるコミュニケーションが困難な状況を作り出されて精神が削られていく。
あの頃、まだ何物でもなかった私は結局、何物にもなれぬまま、それどころか自分自身ですらなくなって、一生を終えていくらしい。情けないことである。
[事実確認的]([constavive])
[行為遂行的]([performative])
[J・L・オースティン]による分類
>従来の言語論が命題の真偽を主として問題にしてきたのに対し,文の発話は同時に行為の遂行となっていると指摘した。たとえば「約束する」と発話することは,すなわち「約束」という行為を行うことにほかならない。このように何かを語ることによって執行される行為を「発話内行為」という。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ある文章をどちらで解釈すべきかは、形式的な解析ではわからない
すべての命題は行為遂行的な読みに開かれている=意味が確定しない
→コミュニケーションに支障が出る
事実確認的にしか受け取らない領域(例:学会)
解釈を安定させる社会的装置
言葉がコミュニケーションツールになりうる環境というのは実のところ限られている。
ある意味私は今までスポイルされてきたのかもしれぬ。
どんなに言葉を尽くしても、ある種の人間には、新たな曲解の材料を提供したことにしかならない。そういう現実に否応なしに気づかされた今日この頃である。
論理的思考力が皆無なのだろう。それはこちらの知ったことではないが、陳腐な妄想のストーリーに基づく的外れな結論を押し付けられるのが迷惑だと言っているのだ。それすらも奴には理解できないだろう。バカだから。
生涯決して許さないと決めた男が2人いる。それに同系統の女が1人加わった。 それにしてもつくづく思う。自己愛の肥大したバカほど簡単に「優しさ」だとか「思いやり」だとか「他者の尊重」だとか口にしたがるな。バカが。 言葉の意味などろくすっぽ考えたこともないのだろう。それらしい単語を口にすれば正義の側に立てると信じて疑わぬ。そうして陳腐で通俗的かつ的外れなストーリーに他人を回収し、善人面して恥じないのだ。救いようのないバカである。
車両感覚は、身体図式が外部対象(=車)に拡張された状態と考えられます。
研究によると、人は道具や機械を繰り返し使うことで、その外部物体を身体図式に取り込むことができます。
たとえば:杖を使っている人は、杖の先端までが「自分の身体」として感じられるようになる
テニスプレイヤーは、ラケットの長さや反発を身体感覚として統合している
車の運転者は、車体の外縁までを「自己の延長」として感じるようになる
つまり、運転経験が積み重なると、**「身体図式 → 車体を含む拡張身体図式」**へと再構築されるのです。
栄造 どうしたの?
おれい どうして動くのかしら?
栄造 え?
おれい どうして指が 動くのかしら?
栄造 ……。
おれい 学校の花壇に菊が植わっていたのを覚えてる?
栄造 菊?
おれい 音楽室の窓の下に、菊の花が咲いていたでしょう?
栄造 あぁ……。
おれい 花弁(はなびら)の幅が、ちょうど人の指くらいで、それが幾枚も垂れ下がっていて……放課後、見つめ
ていると、そのうちの一枚が、なんだか微(かす)かに上へ向いて動いているような気がしたの。そうして不意に萼(がく)から離れて、土の上にぽとりと落ちて……。
「コマンド」とは、ユーザーがキーボードを通してコンピュータやプログラムに与える命令のことです。
MS-DOSなど、Windowsのコマンドを入力するプログラムは「コマンドプロンプト」と呼ばれており有名です。
かつてはコマンドしか受け付けない操作方式(CUI=Character User Interface)のコンピュータが主で、最近はコマンド以外の操作を受け入れるようになった操作方式(GUI=Graphical User Interface)のコンピュータが主流です。
コマンドによる操作の利点は一部の動作をさせる際にはコマンドを入力したほうが早いこと、そしてコマンドをテキストに記述してひとまとめにしてから実行できることです。こういったひとまとめのコマンドはバッチやスクリプトなどと呼ばれます。
コマンドはPCの起動画面において多彩な操作を可能にします。そのために未だにコマンドを使えることはプログラマーの必須要件となっています。
コマンドには色々な種類があり、OSによって異なります。しかし、ほとんどのOSで同じようなコマンドが使えることもあり、一つのコマンドを覚えると他のOSでも使え大変便利です。
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