廃用手とは、麻痺や運動障害を持つ上肢に対して、患者が意識的・無意識的にその手を使わないことで、使用機会の減少とともに機能のさらなる低下を招いた状態をいう。
朝6時に悪夢にうなされ目が覚めて、そのままゴミ出し。 悪夢の内容とも関係することなのだが、諸々のルーチンが一段落して台所でタバコを吸っていたら背後で妻の「おはよう」の声。振り返ることなく「おはよう」と応えて不安になる。現実に、聞こえた声なのか?それで妻の寝床を見に行く。いない。起床している。
朝からサブスクの解約手続きなどでてんやわんや。昨日不調だった腹の調子は良くなった模様。
たしかに記憶はあるし、懐かしく思い出したりもするのだけれど、それが自分の記憶であるという確信が持てない。
だがそれとは関係なく、月曜、普通ごみの日。朝はゴミ出しから始まる。 朝の時点の天気予報で今日の川崎はほぼ一日曇り。
https://meigen-hibiki.net/hannah-arendt-quote/
アーレントは言っている。『考えるのを止めたら、人間じゃなくなる』と。では“考える”とは?『考えるとは注意深く直面し、抵抗すること。』
それで私は思うのだ。このまま終わってたまるか、と。せめて「人間」として死にたいと思うからだ。
という思いは正直今でもある。
昨晩から腹の調子が悪くて薬を飲んでいる。
また週末ということもあろうが、右腕右肩に疲れが出ている。
今週末の土曜日に実行しようと思っていた簡易書留送付だが、登戸郵便局の窓口が平日19時まであいているとのことなので、昨日のうちに前倒しで行ってきた。仕事終わりに電車に乗って行くことになるので時間が微妙ではあったが、なんとか間に合った。とはいえ、車椅子では、乗せてもらえる電車が、すぐのものでなく、何本か後のものだったりするので、フツーの感覚では時間を読み違えてしまう。病気の発症から7年が経ったというのに、いつまでたってもこの「フツーの感覚」の癖が抜けない。これは広義の“”病態失認‘’といえるのではないか、などと思ってみたり。ともあれ、用事は無事に済ませることができた。よかった。
早いもので2025年も後半に突入である。
今日の川崎は晴れ/曇り。昨日、雇用契約書が届き、早速必要個所を記入したが、簡易書留のため郵便局に行かねばならない。天気が悪くなければ今週末に行ってこようと思っている。
最近のコメント