6月最終日
早いもので今年も半分が過ぎた。
今日は月曜、普通ゴミの日なので、ゴミ出しから朝が始まる。
早朝、というには早すぎるまだ深夜のうちにこれを済ませて、その足で深夜の散歩。少し遠くにあるコンビニで飲み物を買い、駐車場脇にある喫煙所で一服して帰ってくる。最近、ときどきこれをやってる。
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早いもので今年も半分が過ぎた。
今日は月曜、普通ゴミの日なので、ゴミ出しから朝が始まる。
早朝、というには早すぎるまだ深夜のうちにこれを済ませて、その足で深夜の散歩。少し遠くにあるコンビニで飲み物を買い、駐車場脇にある喫煙所で一服して帰ってくる。最近、ときどきこれをやってる。
営業日ベースでいえば、今日と来週月曜日で6月も終わり。2025年も半分が過ぎたことになる。
今年もまた何もなしえぬまま、徒に時間だけが過ぎていく。
今日の川崎は雨。梅雨の戻り+台風(熱帯低気圧に変わったらしいが)で、大雨の恐れとの予報。今日は外に出られないが、この事態を見越して昨日のうちに食料調達などは済ませておいた。
葬儀は28日とのこと。子供のころのいろいろが思い出される。そうして我が身やその周辺のいろいろを考えてしまう。
昨日は終業後、整骨院へ。ハナから雲行きは怪しかったが天気予報はずっと曇りだったので。施術中、雨粒が地面に当たるバタバタという音がし始め、ずぶぬれでの帰宅を覚悟した。しかし幸い、施術が終了するころには雨が上がって無事に帰ってくることができた。帰りにちょっとした買い物とジョナサンでの食事。ロボットによって運ばれた料理を受け取るのに苦労していたら、見知らぬ客が見かねて助けてくれた。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2288_33104.html
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
脳卒中などによる**身体失認(asomatognosia)**が進行すると、確かに「自分の身体が自分のものではない」という感覚に陥ることがあります。そして、重度になると、その感覚は「自己の存在そのものが曖昧になる」という、アイデンティティの根幹を揺るがす体験に繋がることもあります。
身体失認とは?
脳の損傷(特に右半球の頭頂葉など)により、自分の身体の一部を「これは自分のものではない」と感じたり、そもそも認識できなくなる症状です。以下のような形があります:
身体部分否認(somatoparaphrenia):たとえば左手があるのに「これは私の手ではない」と主張する。
空間無視(unilateral neglect):身体の一側や視野を無視する。
所有感の喪失:そこにある身体の一部を「所有している」と感じられない。
自己の崩壊感との関係
身体というのは、「自分が存在している」という感覚を構成する重要な要素です。以下のような段階で、その「自己感」は揺らいでいきます:
自己身体の境界の曖昧化
自分の手足が「他人のもの」のように感じられると、身体の所有感や位置感覚がぼやけます。
自己主体感の消失
動かしているのに「自分が動かしていない」と感じたり、自分が行っている行為が「他者によって操られている」ように錯覚する(作為体験)。
自己同一性のゆらぎ
身体の実感が失われていくと、「私は誰か」「ここにいるのは本当に自分なのか」といった存在論的な不安・解離感に至ることがあります。
類似する状態や症候群
離人症(depersonalization):精神科領域で語られることが多いが、「自分が自分でない」「現実感がない」などの症状。
コタール症候群:自分が死んでいる、あるいは存在していないと感じる極端な状態。
哲学的ゾンビのような自己観:自分の内部の主体が感じられない、外からの機械的な存在としての自己感覚。
まとめ
はい、身体失認が進行すれば、確かに「自分が自分でない」ような感覚が現れる可能性はあります。それは単なる身体的な感覚の障害にとどまらず、自己意識の根底を揺るがす存在的な不安や違和感に結びつきます。
このような体験を「脳機能の異常」で説明できることは、逆に「普段私たちが感じている自己や存在感」が、いかに脳という物理的な器官に依存しているかを強く示唆します。
「脳卒中による身体図式の崩壊(body schemaの障害)」は高次脳機能障害の一種に含まれると考えられます。
■ 詳細な説明
◆ 高次脳機能障害とは
高次脳機能障害とは、言語・記憶・注意・遂行機能・認知など、脳の高次な処理機能に関する障害の総称です。原因は多くの場合、脳卒中、脳外傷、脳炎、脳腫瘍などによります。
◆ 身体図式の崩壊とは
「身体図式(body schema)」は、自分の体の大きさ・位置・姿勢などを無意識的・即時的に把握する機能です。これが崩れると:
自分の手足の位置がわからない
身体の一部を「自分のもの」と認識できない(身体失認)
動作のぎこちなさや失調が起こる
これらは前頭葉、頭頂葉、あるいは小脳・脳幹の損傷で起こることがあります。
■ なぜ「高次脳機能障害」に含まれるのか
身体図式は単なる運動機能ではなく、無意識的な身体認知や空間認知に関わる神経機能に依存しており、これは明確に「高次脳機能」の範疇にあります。
例えば:
右頭頂葉損傷 → 半側空間無視や身体失認(asomatognosia)
前頭・頭頂連合野の障害 → 自己身体のイメージの破綻
■ まとめ
脳卒中によって身体図式が崩れる現象は、高次脳機能障害の一種として捉えられます。これは、単なる運動麻痺ではなく、脳が自分の身体をどう「認知」しているかというより複雑な神経処理の障害であるためです。
必要であれば、医学的分類やリハビリの観点からの補足も可能です。
月曜は普通ゴミの日。
早朝というには早すぎる深夜のうちにこれを済ませてその足で散歩。喫煙所のあるコンビニまで遠征し、缶コーヒーを飲んで一服。ささやかな夜遊びだ。
https://www.saiseikai.or.jp/medical/disease/piriformis_syndrome/
坐骨神経が骨盤出口部で、なんらかの原因により股関節を支える筋肉(梨状筋)の圧迫や刺激を受け、疼痛が起きている状態のことです。腰椎椎間板ヘルニアや腰部脊柱管狭窄症に比べると、まれな疾患です。図1は、正常な坐骨神経と梨状筋の走行を示しています。腰からの神経がまとまって骨盤から臀部に出てくるところで坐骨神経となり、梨状筋の下を走行しています。丸で示した部分で神経が障害され、坐骨神経痛、梨状筋部の痛みや圧痛などの症状が出ます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7fb9bc473d6dabf0e684379517df88a2697975ef
だが、それを自覚できればまだマシだ。「危険」をそうと感じ取れない状態こそが本当に危ない。
合理的思考とは、前提から筋道を立てて論理的に結論を導く能力です。これができない人は:
感情や印象で判断しやすく、論理的整合性に無頓着。
誤った因果関係を信じやすい(例:「雨の日に体調が悪い → 雨は毒だ」)。
自分に都合のいい情報ばかりを重視(確証バイアス)。
謎ルールに心を削られ、疲弊する。
【1. フーコーの「生権力」とは】
■ 定義:
フーコーが『性の歴史』などで提起した概念で、「生(life)」そのものを対象にする権力の形態。個人の生命、健康、出産、老化、死に至るまでの身体的・生物学的側面を管理・統治しようとする権力です。
■ 特徴:
近代的な権力形態:主権権力(殺すか生かすか)ではなく、「生かすために管理する」権力。
二重の作用領域:
個体への監視(anatomo-politics):身体を規律化する(例:学校、軍隊、病院)。
種族への調整(bio-politics):人口や出生率、健康状態などの管理(例:疫病対策、衛生政策)。
【2. パターナリズムとは】
■ 定義:
ラテン語の「pater(父)」に由来し、権力者が被治者を「子ども」と見なし、その意思に反してでも「彼らのため」に介入・統制しようとする態度や政策。
■ 例:
強制的なヘルメット着用義務
公的健康キャンペーン(タバコ・アルコール制限)
強制入院・強制医療
■ 批判点:
個人の自律性(autonomy)を侵害する可能性。
誰が「善」を決めるのかという倫理的・政治的問題。
【3. 両者の共通点と相違点】
項目 生権力(フーコー) パターナリズム
対象 生・身体・人口全体 主に個人
動機 社会的な効率や安全のため 「本人のため」という善意
方法 規範、制度、知識を通じた統治 命令・規制・保護の名のもとに介入
自律との関係 自律を戦略的に誘導する 自律を制限・無効化することもある
【4. 関連する現代的文脈】
コロナ対策(ロックダウン、ワクチン義務化など)は、生権力的な管理とパターナリスティックな動機が重なる領域です。
「ナッジ」政策(選択を制限せずに行動を誘導する手法)は、生権力がソフト化した形と見なされることもあります。
【5. 哲学的・倫理的な交差点】
フーコーはパターナリズムの倫理性を直接論じたわけではありませんが、彼の視点では「善意」や「正義」という名目で個人の自由が組織的に管理されること自体が、権力の非可視的な作用であり危険視されます。
一方で、パターナリズムにおける議論は、ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』に始まり、自由vs保護のジレンマを主眼に置きます。
【結論】
生権力とパターナリズムは、どちらも近代国家が個人の「生」に介入する正当性の問題に関わる。
ただし、生権力は制度的・構造的な支配の分析概念であり、パターナリズムは主に倫理・法の文脈で問題視される個別的・態度的な問題。
両者を区別しつつ、重なり合う部分を見極めることが、現代社会の権力構造を理解する鍵になります。
昨日の日曜が歯医者で消費されてしまったこともあり、今日は休暇をとっておいた。治療の痛みが出ることもなく、溝口へ行ったりなどして気分転換。
2025.6.15、14:30~。6月頭の定期健診で見つかった虫歯の治療。発見が早かったので一度の治療で終了した。幸い雨にも降られず。次はまた10月に定期健診。
iPhoneで日本語をローマ字入力(「nihongo」→「日本語」など)したい場合は、「日本語 - ローマ字入力」キーボードを有効にする必要があります。以下の手順で設定できます。
■ ローマ字入力を有効にする手順(iPhone)
設定アプリを開く
「一般」をタップ
「キーボード」をタップ
「キーボード」をもう一度タップ(上に何個あるか確認)
「新しいキーボードを追加」をタップ
リストの中から「日本語 - ローマ字入力」を選択
もしすでに「日本語 - かな」が入っていて、切り替えたいだけなら追加しなくてもOKです
昨日6月10日に関東も梅雨入りしたとのこと。
スタンフォード大学の神経科学者エヤル・オフィル博士は「人間はじつのところマルチタスクなどしていない。タスク・スイッチング(タスクの切り替え)をしているだけだ。タスクからタスクへとすばやく切り替えているだけだ」と説明している。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541611
日本各地で続々と梅雨入りの模様。まあ、そんな季節ではある。一方、沖縄では早くも梅雨明けの模様とのこと。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7ed442b44db51b30e2e2035989846c223edbbd41【本州の梅雨との違い】
項目
梅雨(本州) エゾ梅雨(北海道)
原因
梅雨前線 オホーツク海高気圧によるやませ
時期
6月中旬〜7月中旬 6月下旬〜7月上旬
地域
本州・四国・九州など 北海道(主に太平洋側)
雨の性質
激しい雨、雷雨も 霧雨や小雨、曇天が多い
気象庁の定義
正式に「梅雨入り・梅雨明け」発表あり 正式な梅雨とはされず、発表なし
2025.6.8
若葉台へ。→京王よみうりランドでアメリア稲城
2023.6.7
新百合ヶ丘へ。
自分が死んだら世界は消滅するという思想とシュレーディンガーの猫について
今日の川崎は晴れ。暑い。梅雨入り前にカウンタームーブメントといった様相。
1. 独我論(Solipsism, ソリプシズム)
概要:唯一確実に存在すると言えるのは「自分の意識」だけであり、他人や世界の存在は自分の意識の中の現象にすぎない、という立場。
関連性:「自分が死ぬ=意識が消える→世界も消える」という論理になる。
批判点:検証不可能であり、他者や現実を否定しきる根拠が弱いとされる。
2. 現象学的観点(HusserlやMerleau-Pontyなど)
概要:私たちは世界を「意識を通して」体験する。したがって、「世界」は常に「主観的世界」としてしか現れない。
関連性:自分の死とは、その主観的世界の消滅であり、意味のある「世界」も一緒に終わるという考え方ができる。
3. 死と世界喪失(ハイデガー的視点)
概要:ハイデガーは「死」は自分にとって「固有で絶対的な可能性」であり、自分の死においてのみ「世界が終わる」体験があるとする。
関連性:「世界は他者の死では終わらないが、自分の死では終わる」という主観的終末論。
4. 心理的・感情的側面
概要:極度の自己中心性や孤独、抑うつ状態において、「自分がいなければ世界など意味がない」と感じることがある。
注意点:これは病理的な状態である場合もあり、臨床的なケアが必要なこともある。
5. 反対の視点:他者性と客観世界
多くの哲学者や科学者は、「世界は自分の外にも存在しており、自分が死んでも世界は続く」とする客観主義を取る。
例:カント、デカルト(懐疑から出発しつつも他者や世界を前提とする)、現代科学の視点
まとめ:この思想が語るもの
「世界とは何か?」
「私とは誰か?」
「意識がなければ現実はあると言えるのか?」
この思想は一見極端に思えますが、人間の存在や死をめぐる根源的な問いを突きつけるものでもあります。
ご希望があれば、特定の哲学者の見解や、この思想が出てくる文学・映画などもご紹介できます。
毎週、月曜と木曜は普通ゴミの日なので、ゴミ出しから朝が始まる。
素手で掴む車椅子のハンドリムが、もうそんなに冷たくはなく、こんなところで季節の移ろいを感じてしまう。
週の後半に入り、少々目に疲れが出てきたようだ。
日本語における「」の使い方は、会話文だけにとどまらず、文章の中で強調や引用、用語の提示などに幅広く使われています。以下に整理してご説明します。
📝「」が会話以外で使われる主な用途
1. 引用
他人の発言や文章をそのまま引くときに使います。
例:
彼は「雨が降りそうだね」と言った。
『徒然草』には「つれづれなるままに」とある。
✅ 引用符としての役割(英語の " " に近い)
2. 用語や概念の提示(いわゆる“カギカッコ強調”)
読者にとってなじみのない言葉、造語、専門用語、または著者の意図的な皮肉・距離感を示すときに使います。
例:
これはいわゆる「忖度」である。
彼のいう「成功」とは、単なる金儲けを意味していた。
この作品では「リアル」の定義が問われている。
✅ 英語で言えば so-called や “success” in his terms に相当
3. 作品名・商品名などの固有表現
書籍、映画、テレビ番組、楽曲、キャンペーン名などに使われることがあります。
例:
映画「君の名は。」は世界中でヒットした。
NHKの「ブラタモリ」は人気番組だ。
✅ 英語では italic や underlining に相当する役割も
4. 文字通りではない・比喩的意味を示す
皮肉・揶揄・やや距離を置いた表現としても使われます。
例:
彼の「努力」は見せかけだけだった。
「正義」の名のもとに行われた暴力。
✅ 引用というより、「本当にそうなのか?」という疑いのニュアンス
❌「」がふさわしくない場面
通常の説明文や事実記述でのむやみな多用
明確な用語説明がないのになんとなく使うケース
➤ たとえば「問題」や「解決」などを頻繁にカギカッコで囲むと、
曖昧さや皮肉を感じさせて、論文や報告書では不適切になることも
✅ まとめ
用途 具体例 意味・効果
引用 「走れメロス」は有名な小説だ 他人の発言・文章の明示
概念提示 これは「共感性羞恥」に近い感情だ 用語や概念を明確に示す
距離・皮肉 彼の「自立」は親の援助つきだった 疑念・批判・婉曲表現
作品・商品名 映画「ゴジラ」は大ヒットした 書名・番組名・作品タイトルなど
昨日は有休をとって定期歯科検診。虫歯が見つかり、次回6月15日16:30に治療に行かねばならない。
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