定量的にリスクを語れない人々
https://agora-web.jp/archives/1464057.html
内田氏はきのうの記事で、原発事故についてこう書いている。
かりにその国民たちの恐怖が「確率論的には無視できるほどのリスク」についての「杞憂」であったとしても、現に福島原発が「確率論的には無視できるほどのリスク」が現に起こりうるということを示してしまった以上、国民が「天文学的確率でしか起きないはずの事故」を恐れる感情を軽視することはできないはずである。
国民が恐怖を抱いていることは事実だろう。政府はそれを「軽視」していないから今まで再稼働が遅らせてきたのだが、内田氏はそれ以上、何をしろというのか。「確率論的には無視できるほどのリスク」をゼロにしろというのだろうか。それならリスクのはるかに大きい地震や津波対策のほうが優先だ。
・・・などといっても、彼には理解できないだろう。この記事に数字がまったく出てこないことでも明らかなように、彼はリスクを定量的に評価できないからだ。反原発派には、このようにリスクを情緒で語る人が多い。それは日常生活ではいいが、政治は家族や友人の問題ではない。1億人以上の生活のかかった問題を「感情を軽視することはできない」といった曖昧な根拠で決めることは許されない。
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