パノプティコン
https://www.p.u-tokyo.ac.jp/lab/ichikawa/johoka/2003/group1/hajimeni1.htm
この施設においては、囚人は他の囚人とたちきられ、常に監視者に姿をさらしているが、自分の方から監視する人間を確認できないようにされている。フーコーは、拘留されている者が<見られている>ことを永続的に自覚する状態をつくりだすところにこのパノプティコンの特徴を見いだしている。このように、監視されていることを内面化させることによって、囚人たちの服従はつくりだされる。
そして、このパノプティコンの「権力の自動化」と呼ばれるシステムが近代の学校にも適用される、とフーコーは述べている。近代の学校システムは、「規律・訓練」という概念によって子どもたちを秩序のなかにはめ込み、学校という一種の権力に自発的に服従する主体をつくりだしてきた、というのである。 もともと、パノプティコンという監獄施設を設計する上で「権力の自動化」システムが考え出されたわけだから、近代学校における「権力の自動化」システムも、その学校建築自体に表れているのではないだろうか。
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