受験機会の複数化
AとBのグループ分けは当時使われた表現によれば「箱根山を境に東の旧帝大をB、西の旧帝大をAにする」と決め、他大学はそれを眺め回して日程を選ぶ大ざっぱな方法だった。本誌6月21日号は各大学のダブル合格者の動向を追った。例えば東大・文Ⅰと大阪大・法に合格した18人のうち阪大入学者はゼロ。一方、大阪大・法と広島大・法のダブル合格者で広島大に進んだのは2割に過ぎない。
連続方式は大学間格差を増幅したとも言えるが、もともとは「受験機会の複数化」がうたい文句だった。ところがそれ自体、机上の空論だった。志願者数の激増に対し、大学側は共通1次試験の点数で受験者を絞り込む2段階選抜を実施。その結果、59国公立大に志願した延べ約9万9600人が門前払いされ、中にはA、B日程とも受けられず受験を終えた人もいた。
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20230313/se1/00m/020/003000d
「スクラップ」カテゴリの記事
- 切通し(2024.09.13)
- 奇習(2024.09.13)
- かごの鳥(2024.09.11)
- 主体的に主体性を放棄する(2024.09.10)
- 特定小型原動機付自転車(2024.09.08)
コメント