狂気
フロイト以来、西欧的な狂気は一つの非言語となった。狂気は二重の言語(その言葉においてしか存在しない言語、自らの言語をしか言わない言葉)となったからだ。即ち、何も言わない言語活動の母胎となったということだ。話されていることの折れ目、即ち作品の不在となったのだ。-狂気、作品の不在-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) December 25, 2022
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