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井川某「赤ちゃんが泣いたら文句つけるような国民の美徳? 笑わせるな」
— the_spoiler (@don_jardine) November 25, 2022
まず無用にいきり立っている井川某は善行を積む人々に寄せられた賞賛を他者の不寛容で相殺しようとする自分の貧しい心を恥じろ。人がゴミを拾ったら奴隷呼ばわりするような人物の苦言?笑わせるな。https://t.co/x2mporbJlF
「日本代表は勝っちゃうしで、残念」は言論の自由であり、謝罪不要です。問題は、スポーツの勝ち負けと政策の優劣が本来一致するかのように暗示している点です。この【論点相違の誤謬】は、全体主義国家が大衆操作に使う「スポーツの政治利用」の根本原理に他なりませんhttps://t.co/EKqmcnMEUV
— 藤原かずえ (@kazue_fgeewara) November 25, 2022
狂気は野生の状態では見出されません。狂気は社会の中でしか存在しない。狂気はそれを孤立化する感受性の諸形態、それを排除し或いは捕捉する嫌悪の諸形態の外に存在するものではないのです。-狂気は社会の中でしか存在しない-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) November 24, 2022
とはいうけれど、杖っていついかなる時も支えになるわけじゃなくて、むしろ多くの局面では行動を阻害する「荷物」となって、かえって転倒を誘発したりもするのだ。
孤独は、多数性という人間の条件にあまりに矛盾しているので、長時間にわたってはとても耐えられるものではない。孤独が人間を完全に滅ぼしてしまわないためには、善行を目撃する唯一の想像上の証人、神を必要とする。(『人間の条件』10)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) November 23, 2022
幸福とは、思考の停止であり、視野の切り捨てであり、感受性の麻痺である。つまり、大いなる錯覚である。世の中には、この錯覚に陥っている人と、陥りたいと願う人と、陥ることができなくてもがいている人と、陥ることをあきらめている人がいる。ただそれだけである。『不幸論』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) November 7, 2022
周辺の都市化による地下水位の低下により1951年に水源が枯れ[3]、雨の時にしか水を流さなくなり、後に一部が埋め立てられ姿を消した。21世紀初めにサクシュコトニ川の再生計画が持ち上がり、2004年に北海道大学のキャンパスの南端から流れる小川として復活した。川の水は札幌市中央区伏見の藻岩浄水場から浄水過程で発生した放流水を廃止された水道管などを一部区間に使い導水している。
診断書の修正をお願いしにクリニックへ。社労士の指示に従い、訂正に応じてくれるとのこと。1週間くらいかかりそう。できたら電話連絡が来る。
向かって月の左側が欠けているのが「上弦の月」、右側が欠けているのが「下弦の月」と覚えておけば区別が付きやすいでしょう。
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