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http://www.yamanouchi-yri.com/yrihp/techwrt-2-4s/t-2-4s03a.htm
よく使う副詞には、常用漢字表にない漢字と読みの語がいくつもあります。この理由から漢字と読みが常用漢字表にある副詞であっても多くの語はひらがな書きにするのが通例です。
1 言葉のもつ微妙な感じ。言葉から受ける主観的な印象。「京都弁のおっとりした―」
2 言葉に対する感覚。「鋭敏な―の持ち主」
そういうアンビバレントな状態で余生をかろうじて生きている。
無根拠な事実認識=妄想に基づく身勝手な物語(肥大して歪んだ自己愛充足のための)に他人を従わせようというグロテスクな暴力性。
私は、親をはじめ、他人に心配かけまいと思ったことがない。私のことを心配する人は、勝手に死ぬまで心配しつづければいいのです。それは、その人の趣味の問題。私にはまったくかかわりのないことです。『私の嫌いな10の人びと』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) April 26, 2022
自覚のある悪意ならまだマシなのだ。
無根拠な妄想の物語に従うことを他人に強制して恥じぬ暴力性、それを指摘されても決して理解できぬ徹底した自己相対化能力の欠如=頭の悪さ。これこそが厄介なのである。要するに肥大して歪んだ自己愛に阻害されて自覚できない底意地の悪さ。
病気によって、空間的≒時間的環境は、その実存論的構造において障碍されるわけだが、障碍されるのはこれにとどまらず、共同世界、つまり社会的・文化的宇宙もそうである。患者にとって、他人は対話の相手ではなくなり、ある任務の協力者でもなくなる。-精神疾患と心理学-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) April 26, 2022
モノカキとしての言語感覚以前の問題で、義務教育の「国語」レベルで間違っているのに、いっちょまえに「解釈は自由」とか抜かすの、片腹痛い。
気を遣うキャラを装いたいらしいが、だったら、こんな意味不明な文章じゃあ、受け取った方が困惑するんじゃないか、という気の遣い方をしたらどうだ。
https://kotobank.jp/word/%E8%A4%87%E5%90%88%E5%8B%95%E8%A9%9E-617211
複数の語が結合してできた動詞。「恥じ入る」「長引く」の類。
稲田堤の岩城整形外科へ。亜脱臼が疑われる肩を診てもらった。
2018年4月21日に退院して、丸4年になる。
明日で退院からちょうど四年。さすがにいろんなことに慣れた。違和感は常にある。まったく解消されていない。その気持ち悪さに慣れたのだ。
2022.4.19
全期分90300円をセブンイレブンで支払い。
http://www13.plala.or.jp/bigdata/yokobou.html
「横棒」と一口に言っても「マイナス」「ハイフン」「アンダーバー」「長音」「罫線」などいろいろな種類が有り、その全てに違う文字コードが割り当てられています。
哲学的人間学の立場から加えられる三つの人間の定義:死の不安に怯える動物ホモ・モルタリス(死すべきヒト)、夢をみる動物ホモ・ソムニアーンス(幻視のヒト)、歌う動物ホモ・カンターンス(詩と呪文を唱えるヒト)。-ホモ・モルタリス-
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) April 17, 2022
ゆうべは久しぶりに湯舟に入ってみた。どうにかこうにか重心をコントロールしつつ。「問題」はクローヌスの発生なのだ。入院中からよく病院職員は「脚力の衰え」というストーリーに回収したがったがまったく違う。
知覚、記憶、学習、思考や判断などの精神機能を総称して高次脳機能といいます。脳血管障害、脳症、脳炎や事故などにより脳が損傷し高次脳機能に障害が起きた状態が高次脳機能障害です。記憶障害、注意力や集中力の低下、感情・行動の抑制が利かない、道に迷う、失語等の症状が現れ、状況に沿った行動がとれず、生活に支障をきたします。
https://www.ikiikifukushi.jp/koujinou_qa/
https://www.shinyuri-hospital.com/column/co-medical/column_riha_202105.html
久しぶりに湯舟に入ってみようかと思ったが、片脚を入れたところで断念。入るだけなら入れるが、出られないということになるかもしれないから。撤退するのも勇気。
コマンド プロンプト画面で DISM.exe /Online /Cleanup-image /Scanhealth と入力して Enter キー を押します。
情熱なしにできることは、すべて無価値である。
— マックス・ヴェーバーbot (@MaxWebr_bot) April 13, 2022
「独楽は止まると倒れる」という諺は、決してモーレツサラリーマンの粉骨砕身振りを讃えているのではなく、まさにその反対の、日常生活世界のゆとりと愉しみを持つべきだという意味である。勤労自体が苦役ではなく喜びを伴った仕事となるためには日常の偶発性という生命の動きが止まってはならない。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) April 13, 2022
もちろん、深層の言葉が言葉である限り非連続的な〈差異〉であることを免れないが、表層の言語内の〈差異〉との根本的な違いは、二分された〈図と地〉が二項対立として固定されることなく、絶えず新たな〈形〉へと動いている点にあり、これが〈コードなき差異〉と呼ばれる所以である。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) April 10, 2022
一般の人が一階建ての建物のことを書く場合は、「平屋建て」で構いません。
しかし、登記(全部事項証明書)では、平家建と書かれますし、建築基準法でも平家建と表記しています。
手で対象に触れて、(対象が)ザラザラしているとかつるつるしていると認める人は、そこに存在する諸要素や関係を措定しているわけではないし、そういうものを徹底的に考え抜くわけでもない。触れるのは意識ではなく手であり、カントが言ったように手は<人間の外部の脳>なのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) April 7, 2022
肥大した自己愛充足のための無責任かつお気楽な干渉に付き合って、リソースを無駄に消費する筋合いはこちらにないということだ。
30年も前に雑誌で公演情報を見かけただけの芝居を「見なかった」記憶が何故か今頃鮮明に蘇り、ひどく悔やまれるのだ。これはいったいどういうことなのだろう?
裁判所、監獄、病院、精神病院、労働医学、大学、マスコミ・情報機関、これらすべての制度を通して、また様々に違った外見を採って、抑圧が行使される、そしてその抑圧の起源には政治的抑圧がある。-『二十の監獄での調査』への序文-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) April 3, 2022
私は断じて「孤独を活用して趣味を見つけなさい」とか「自分を充電するいいときです」とかの安易な処世術を教え込もうというのではない。じつは、孤独になり不幸になることは、たいそう辛いからこそ貴重だと言いたいのだ。その辛さがあなたの目を鍛えてくれる。『孤独について』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) March 31, 2022
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