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2022年3月18日 (金)

関係的恣意性

https://www.arcle.jp/note/2019/0041.html

 

専門用語辞典では、捉えどころのないものに対して、定義と説明を通して、概念規定を行い、当該の用語が何であり、どういうものであるかを明らかにしなければならない。実際、定義だけでは、それがどういうものであるかを理解することは難しい。そこで、執筆者は、説明のしかたを工夫しなければならない。上述の通り、説明は例示によるものが中心となるが、比喩も例示の一形態である。
 「たとえ」をうまく使った説明の例として、記号論における「関係的恣意性」という用語を取り上げてみよう。これは、定義上、「言語記号は、共時的な差異の体系であり、個々の項は他の項に依存しており、しかも、差異の体系としての関係的構造もなんら必然的な根拠を持ち得ない」ということを表す概念である。この定義は正確かもしれないが、一般の読者にとっては、おそらく何のことかよくわからないだろう。そこで、この概念がどういうものであるかを説明する必要がある。丸山圭三郎(1981)は「饅頭と風船」のたとえを使って、この用語の説明を試みている。
 『箱の中に入っている饅頭と、同じ大きさの箱の中に押し込められている同じ数の風船をイメージしてみよう。その風船はただの風船ではなく、圧搾空気が入っていると仮定する。さて、饅頭の場合は、その中から1つ取り出して箱の外においても、当然そこには空隙が残されるだけで、箱の中の他の関係は変わらない。…… 圧搾空気をつめた風船の場合は、箱の中でしか、また他の風船との圧力関係においてしか、その大きさはない。もしその中の風船を1つ外に出すと、当然のことながらパンクして存在しなくなってしまう。また、残した穴もそのままではあるはずはなく、緊張関係におかれてひしめき合っていた他の風船が全部ふくれあがってたちまち空隙を埋めてしまう』(p.96)
 これは難しい概念をわかりやすく、そして的確に説明するものである。饅頭の箱の場合は、項目の実体的同一性が前提となっているが、風船の箱の場合は、個々の項の実体性というものはもともと存在せず、あるのは隣接項との関係だけである、ということが示されている。さらに、風船の布置関係は共時的であり、なんら必然性は伴わないということが示されている。だから関係のあり方そのものが恣意的である、ということである。

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