フォッサ・マグナ分割
1987(昭和62)年、国公立大では初の入試日程別の複数化入試を実施した。特に注目されたのは、国立大A日程グループには西の旧帝大系である名古屋大学・京都大学(法学部はAB)・大阪大学・九州大学が含まれ、Bグループには東の旧帝大系の北海道大学・東北大学・東京大学が含まれる区分けである。この旧帝大系大学に見 る大東西分割の線引きがいわゆる「フォッサ・マグナ分割」 の由来である。なお、その他の大学については旧一期校・二期校時代の発想を踏襲しつつ、AB日程別に配分されたのである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9E%A2%E9%9B%AA%E6%99%82%E4%BB%A3#cite_note-42
7大学の学長会議が苦肉の策として編み出したのが箱根山を境として、東に属する旧帝大をBグループ(北大・東北大・東大)、西に属する旧帝大をAグループ(名大・京大・阪大・九大)に分割する。ついで、この分割を軸とした、各旧帝大所在地域、つまり北海道地区、東北地区、関東・甲信越地区、東海北陸地区、近畿地区、中・四国地区(広島大)、九州地区をさらに中心軸として、その地区の国立大をA・Bの日程に分ける方法をとることが決定された。
https://www.u-toyama.ac.jp/wp/wp-content/uploads/history_08.pdf
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