1987年入試
国立大学入試についての臨教審の提言は即座に実施に移された。センター試験移行に先駆けて科目数の削減が実施され、複数受験についてもAグループとBグループに分かれて実施することになった。まず旧帝大がAとBに分かれることを決め、その後各大学が地区ごとに協議してグループが決定した。しかし京大法学部は「滝川事件以来の学部の自治を脅かす大問題だ」(高坂正堯・京都大学法学部教授)として東大(Bグループ)と異なるAグループとなることを拒絶、「AB分割」という変則実施となった。そして87年の国公立大学入試は大荒れとなった。各大学への出願を共通一次試験前(事前出願)としたため、第1段階選抜で不合格がのべ10万人にのぼった。A・B両方の結果が出てから入学校を選べるようにしたため、入学手続き者が定員に満たない大学が続出、全大学で1万人の欠員となり、各大学は繰り上げ合格作業に追われた。
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