人口
政府は気がついたのだ、相手は、単に臣下でも〈民衆〉ですらもなく、〈人口〉という形で捉えられた住民であって、そこにはそれ固有の特殊な現象と、固有の変数があると。出生率・罹病率・寿命・妊娠率・健康状態・病気の頻度・食事や住居の形がそれだ。-知への意志-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 28, 2022
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政府は気がついたのだ、相手は、単に臣下でも〈民衆〉ですらもなく、〈人口〉という形で捉えられた住民であって、そこにはそれ固有の特殊な現象と、固有の変数があると。出生率・罹病率・寿命・妊娠率・健康状態・病気の頻度・食事や住居の形がそれだ。-知への意志-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 28, 2022
諸々の雑事がどうにかこうにか2月中に片付いた。よかった。
「国家の統治制化」についての図(拙いものですがどうぞ) pic.twitter.com/yrv6jgArx5
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) October 1, 2015
身体の政治的攻囲及び権力の微視的物理学を分析するにあたっては、その前提として我々は-権力については-暴力と観念形態の対比や〈固有性〉の比喩や契約ないしは征服というモデルを断念しなければならない。-監視と処罰-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 28, 2022
同じ土地でも「農地」か「宅地」かによって評価が異なり、固定資産税は「宅地」の方が数十倍近く高いです。この政策のおかげもあり、都市部では急速に農地の宅地化が進みました。それでも昭和60年代のバブル期には宅地が足りず、地価が暴騰します。特に三大都市圏の地価高騰は大きく、宅地化の促進と税負担の公平性の確保が強く求められた結果、1992年に生産緑地法が改正されました。
この改正により、三大都市圏の特定市において「保全する農地」と「宅地化する農地」の区分がおこなわれ「保全する農地」については生産緑地の指定がおこなわれました。
この「保全する農地」が現在の「生産緑地」のことです。
生産緑地は市街化区域内にあれば必ず指定されるわけではありません。下記の要件を満たしていることが必要です。
実際に農林漁業のために利用されている土地(農地など)であること
公害や災害の防止、都市環境の保全など良好な生活環境の確保に役立っており、かつ、将来の公園・緑地といった公共施設などの敷地として適していること
500㎡以上の規模の区域であること(自治体によっては300㎡以上)
用排水路などが整備されており、農林漁業の継続が可能な条件が備えられていること
2022.2.26に初回終了@はまだ歯科クリニック。次回は4ヶ月後に電話予約(044-945-1107)すること。
ケンソウ宛てにネットバンキングで振り込みした。
の請求書がようやく届いたので即日振り込みした。そしてその旨、管理会社へ連絡。
啓蒙の定義において最初に現れる言葉は「抜け出ること」です。[…]彼は啓蒙の契機として何を提示していたか。彼はただ単にその現在という時を「抜け出ること」として、つまり出口、〈外に出ること〉として、どこに向かうのかは何も語られないままの、何かから離れる運動として定義しているだけです。
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 23, 2022
生前(といってしまって差し支えなかろう。この世に生まれ落ちてから一秒たりとも失われることなく続いた連続性ある生を私が生きていた昔、という意味だ。その意味では私はすでに死んでいる〈少なくとも健康寿命が尽きたのは医学的な事実なのだ〉から)、気に入ってよく着ていたコートが、今はもう着られなくなったから、捨てることにした。
二度読む価値のないものは、一度読む価値もない。
— マックス・ヴェーバーbot (@MaxWebr_bot) February 20, 2022
いかなる技術も、いかなる職業的な技量も、習練なしには獲得されない。「生存の技法」もまた、自己自身による自己自身の鍛錬という意味に解すべき「修練」なしには、身に付けることはできない。-自己の書法-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 20, 2022
「療養」というのとも違うのだ。すでに人生の本編が終了し、かろうじて余生を生きているに過ぎない。
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1.[スタート] ボタンを右クリックして、[ファイル名を指定して実行] をクリックします。
2.「Outlook.exe /safe」と入力し、[OK] をクリックします。
国家は、自国民に対しても、他国民に対しても生死に関して無条件の権利をもつことがあってはならないのです。国家が生死に対して権利をもつことを否認することは、アメリカのベトナム爆撃に反対することであったし、いまは難民を救済することなのです。-難民問題は21世紀・民族大移動の前兆だ-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 17, 2022
何から何まで妻におんぶに抱っこで情けない。かといって余計な手出しをすれば、かえって手間を増やしてしまう。せめて静かに、凡庸なストーリーをまとって息を引き取りたい。
リハビリテーションはラテン語で、re(再び)+habilis(適する)から成り立っています。リハビリテーションは単なる機能回復ではなく、障害に関わらず「人間らしく生きる権利の回復」や「自分らしく生きること」が重要とされており、そのために行われる技術や支援など、すべての活動や考え方のことを指します。わが国では「全人間的復権」と評されています。
【フーコーの生権力論】生権力:ヒトという種における基本的な生物学上の特徴が、ある政治(政治的戦略、ある一般的な権力戦略)の内部に入り込めるようになるにあたって用いられる、様々な権力メカニズムからなる総体。-安全・領土・人口-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 14, 2022
診療時間:平日9:30~13:00
平日14:30~19:30
土日17:00まで
最終受付は30分前
休診日:祝日
神奈川県川崎市多摩区菅 2-9-5
044-945-1107
生田緑地内を奥に進んで岡持太郎美術館の入口まで行こうとしたら途中の森から先に進めなかった。エレベーターの有無だとかスロープの具合だとかをストビで確認することはできない。ウェブサイトの案内にすべて記載されてるわけでもないから、結局のところ、ある程度は見切り発車で実際に突入してみるしかないのだ。ていうか、そうして先月だったか先々月だったか、美術館へ行ったのだった。
したと見えたが、一変したのは世界ではなく私の方で、いずれにせよ両者の関係がまったく変わったのは確かである。
啓蒙の定義において最初に現れる言葉は「抜け出ること」です。[…]彼は啓蒙の契機として何を提示していたか。彼はただ単にその現在という時を「抜け出ること」として、つまり出口、〈外に出ること〉として、どこに向かうのかは何も語られないままの、何かから離れる運動として定義しているだけです。
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 9, 2022
危険のさなかではなく、危険と関わりない瞬間にこそ死を恐れよ。なぜなら、人間でいなければならないのなら、突然の死こそ恐るべきものだからだ。"パスカル「パンセ」"
— パスカルbot (@pascal___bot) February 9, 2022
カントは注意しているのです。我々が追憶的・明示的・予知的な進歩の徴を探し求めるべきなのは、帝国の崩壊だとか確固たるものとして築かれた国家が消滅してしまうような重大な災厄などいった重大な出来事のうちにではなく、むしろ殆ど気づかれないようなものになのだと。-自己と他者の統治-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 9, 2022
追憶・明示・予知の価値を持つ出来事は、人間の間で偉大だったものを卑小にしたり、卑小だったものを偉大にしたりするような、そしてあたかも魔法によるかのように古くからの輝かしい政治組織が消滅し、代わりに別の政治組織がまるで地底から出現するかの如き所行或いは悪行には断じてない。(カント)
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 9, 2022
カントによれば「人類にとって恒常的な進歩はあるのか」という問いに答えられるのは、歴史の目的論的構造を分析するのとは逆の過程によってである。進歩を可能にする目的論の道筋を辿るのではなく、「追憶的・明示的・予知的」な徴としての価値を持つ出来事を、歴史の内部で取り出さなければならない。
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 9, 2022
1987(昭和62)年、国公立大では初の入試日程別の複数化入試を実施した。特に注目されたのは、国立大A日程グループには西の旧帝大系である名古屋大学・京都大学(法学部はAB)・大阪大学・九州大学が含まれ、Bグループには東の旧帝大系の北海道大学・東北大学・東京大学が含まれる区分けである。この旧帝大系大学に見 る大東西分割の線引きがいわゆる「フォッサ・マグナ分割」 の由来である。なお、その他の大学については旧一期校・二期校時代の発想を踏襲しつつ、AB日程別に配分されたのである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9E%A2%E9%9B%AA%E6%99%82%E4%BB%A3#cite_note-42
7大学の学長会議が苦肉の策として編み出したのが箱根山を境として、東に属する旧帝大をBグループ(北大・東北大・東大)、西に属する旧帝大をAグループ(名大・京大・阪大・九大)に分割する。ついで、この分割を軸とした、各旧帝大所在地域、つまり北海道地区、東北地区、関東・甲信越地区、東海北陸地区、近畿地区、中・四国地区(広島大)、九州地区をさらに中心軸として、その地区の国立大をA・Bの日程に分ける方法をとることが決定された。
https://www.u-toyama.ac.jp/wp/wp-content/uploads/history_08.pdf
国立大学入試についての臨教審の提言は即座に実施に移された。センター試験移行に先駆けて科目数の削減が実施され、複数受験についてもAグループとBグループに分かれて実施することになった。まず旧帝大がAとBに分かれることを決め、その後各大学が地区ごとに協議してグループが決定した。しかし京大法学部は「滝川事件以来の学部の自治を脅かす大問題だ」(高坂正堯・京都大学法学部教授)として東大(Bグループ)と異なるAグループとなることを拒絶、「AB分割」という変則実施となった。そして87年の国公立大学入試は大荒れとなった。各大学への出願を共通一次試験前(事前出願)としたため、第1段階選抜で不合格がのべ10万人にのぼった。A・B両方の結果が出てから入学校を選べるようにしたため、入学手続き者が定員に満たない大学が続出、全大学で1万人の欠員となり、各大学は繰り上げ合格作業に追われた。
http://www.orsj.or.jp/~archive/pdf/bul/Vol.37_03_138.pdf
おそらく1990年度と同様に1987年度入試スケジュールも以下のようだったと思われる。
A日程試験:2月25日から
B日程試験:3月5日以降
合格発表:3月18日~23日
3月23日(火)から更新(交付)申請の受付けを開始
諸制度の綿密な分析をふまえた歴史学としての「共産主義学」とでも呼べる学問があってしかるべきなのだ。言ってみればマルクス理論もそういうところから科学として、教義として発展したわけだが、今のところまだこの「共産主義学」は未知なる領域でしかない。-父の死-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 4, 2022
権力が最も恐れているのは、集団の力、集団の暴力です。権力は集団の力を個性化という技術で中和しようとします。この技術はすでに十七世紀、学校における階層化を通じて用いられています。-狂気、権力の一問題-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 4, 2022
切通し(きりどおし)とは、山や丘などを部分的に開削し、人馬の交通を行えるようにした道である。
ふいに気になって、大学のゼミの同期の名前を学部の同窓会名簿で探してみた。2002年版の名簿まで遡ったら勤務先が書かれてあった。彼が、その銀行に行きたいと話していた記憶が私にあって、つまり、希望通りになったのだな、よかったよかったと、卒業から31年も経った今さらそんなことを思ったのだった。さらに記憶を遡って1年生の教養部時代に同じクラスだった彼女は? とついでに調べてみる。と、あまりなじみのない銀行名が勤務先として書かれてあった。ググってみれば茨城の地銀らしい。地元に戻ったということなのだろう。茨城出身だったはず、という私の認識とも一致するので。それにしても銀行、多いな。まあ、経済学部なのでね。私はメーカーに就職したのだったが2002年にはもう辞めて芝居の世界に入っていたからその会社名は名簿に書かれていない。マトモな経歴なので残念だ。
ペット不可のマンションだから猫が飼えない、というのは嘘ではないが、住居を変えてまで猫と暮らしたいというほどでもないということだ。
むしろ、家具に爪の引っ掻き疵ができなくてよかっただとか、何より死別の恐れがないから、飼えない決まりに感謝してもいる。
自分自身の生を個人的な芸術作品にするというこの練り上げ、たとえ集団的な諸基準に従っていたにせよ、それは古典古代における道徳的経験の、道徳的意志の中心にあったと思われる。-生存の美学-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 2, 2022
今思えば私の大学4年間はやや長めの旅行気分の中にあった気がする。札幌市時計台が旧札幌農学校演武場だったり、ポプラ並木やクラーク像のある北大自体が札幌の重要な観光資源だったりするのだから、本州からの学生が多かれ少なかれ旅行気分なのは無理もないことなのだが、私の場合、さらに「旅の恥はかきすて」という気分の連続であった。そこが問題なのだ。
法、規律、安全の三種からなる権力メカニズムの複合的な建造物は、次第に完成されていくというか、ともかくも複雑度を増していく。しかしその建造物の中で特に変わっていくのは何が主調となるかである。より正確に言えば、法、規律、安全、この三者間の相関システムが変わるのだ。-安全・領土・人口-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) February 1, 2022
従来「児童公園」と称されていたものを、平成5年の都市公園法施行令の改正により、「街区公園」と名称変更したものであり、児童の利用のみならず、高齢者を始めとする街区内の居住者の利用を視野に入れ、コミュニティ形成の役割も期待しています。
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