患者を教育用に使うという問題
富める者が病院に寄付し、貧しい者がそこで医療を受けることによって医学の知識増進に寄与し、結局は富める者にも利益を与えることになる。こういう契約によって患者を教育用に使うという問題は正当化された。これもまた、経済的自由主義の思想の影響とみることができる。-臨床医学の誕生-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) January 1, 2022
それはそのとおりなのだろうけど、それでいいじゃないかと思う、むしろ合理的な説明がついて腑に落ちる。何の役にも立たぬ「善意」(あくまでカッコ「」付きの、すなわち、肥大して歪んだ自己愛充足のために平気で他人を利用しながらその自覚すらない、いわば自称「善意」)に付き合わされるよりは遙かにいい。
少なくとも双方にとって利益があるのだから。
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