横浜
上京して30年になる。上京したばかりの頃にはよく横浜へも、さしたる用事もなしに行ってみたものだった。STスポットへ芝居を観に行ったりもした。しかし今、「横浜」といって思い出されるのは、2017年10月に私が入院し、いわば一命を取り留めながらも死んだあの病院なのだった。
そこで4年前に私が死んだ。
こういうと、ではそのことを今こうして語っている私は何なのかという〈我思う故に我あり〉的疑問が湧く。
なるほどマルセル・デュシャンのいうとおり「死ぬのはいつも他人ばかり」というわけだ。
ならばこう言い換えよう。4年前に彼が死んだ。と。
では、彼とは誰か?
生まれてこの方、一瞬たりとも断絶することなく連続した主体としての〈私〉だ。今の私は〈私〉抜きの私である。〈私〉の残像、それが私だ、というべきかもしれぬ。
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