学習された行動のルールの伝統
文化は自然的なものでも人為的なものでもなく、また遺伝学的に伝えられたものでも、合理的に設計されたものでもない。それは学習された行動のルールの伝統である。これらのルールは決して「発明」されてきたものではない。また、行動する個人はこの文化の機能を理解していない。(法と立法と自由)
— ハイエクbot (@hayek306) May 30, 2021
« 2021年4月 | トップページ | 2021年6月 »
文化は自然的なものでも人為的なものでもなく、また遺伝学的に伝えられたものでも、合理的に設計されたものでもない。それは学習された行動のルールの伝統である。これらのルールは決して「発明」されてきたものではない。また、行動する個人はこの文化の機能を理解していない。(法と立法と自由)
— ハイエクbot (@hayek306) May 30, 2021
ギターもピアのも単にヘタクソになってるだけなら、練習して技術を獲得し直せばいいがそんなレベルの話じゃない。
指の曲げ伸ばしすらできないんだから話にならない。
ある名命題をおまえが真であると思っていることと、その命題が真であるということとはまったく別の話だ。どんだけ言ってもそれがわからねえで、真であると思っていることに偽りがないと強調してどや顔してんだからバカだというのだ。
事象の解釈がことごとく身勝手でトンチンカン。マジ、関わっちゃやべえレベルである。
ていうか、メールをよこすなら最低限、用件の伝わる文章力を身につけてからにしてくれ。
http://www.geisya.or.jp/~mwm48961/kou3/gyaku.htm
・ある命題 「p → q」 ( p ならば q ) が真(正しい)のとき,その対偶 は真(正しい)であるが,逆や裏は必ずしも真(正しい)とは限らない.
・ある命題 「p → q」 ( p ならば q ) とその対偶とは真偽が一致するので,対偶の真偽を示せば元の命題の真偽が示せる.
善人の最大の罪は、鈍感であること。つまり、自分自身をよく見ないこと、考えないこと、感じないことである。『善人ほど悪い奴はいない』
— 中島義道bot (@gido_bot) May 26, 2021
これもいわば括弧付きの「善人」の話だろう。肥大しすぎて歪んだ自己愛充足のために自分に善人役をキャスティングしたがる。そのために他人を利用して恥じない、というかその自覚もない。指摘されても気づけない、徹底した自己相対化能力欠如のために。
過去をどこかに失くしてきたということなのかもしれない。
他人の話を身勝手に曲解・矮小化して恥じぬ性癖だから、テメエの話も要約して伝達することができずできず、頭の悪いガキの作文みてえに不要な情報だらけの話をだらだらと時系列順に垂れ流すことになるんだ。
「優しい」人は他人の加害性に関しては恐ろしく敏感である。だが、こういうかたちでたえず他人を裁き他人に暴力を振るっているという自分の加害性に関しては、都合よく鈍感である。『うるさい日本の私』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) May 23, 2021
あくまでカギカッコ付きの「優しい」人の話である。
https://jp.ra.co/features/3182
話は遡るが、札幌にクラブ以前のディスコができはじめるよりも前の時代、札幌の空の玄関口でもある千歳にはかつて米軍基地(1975年に閉鎖)があり、そこからソウルやファンクといった米国のレコードが入ってきていたそうだ。米軍が起点となり、最新の音楽が輸入されてシーンが形成されるというのは、1960~70年代の横浜・本牧のそれとも共通点がある。それに加えて、1980年代にアメリカでいち早くLarry LevanやDavid MancusoといったNYハウスを体験した人々が、札幌のクラブWall(現在はPlastic Theaterとして営業)にLarry Levanを招聘したように、その影響をローカルへと持ち帰り、それが現在の札幌のクラブ・シーンの礎となっているのは間違いないが、もともと先進的なものを受け入れる風土をこの街は持っていたのかもしれない。
https://www.yozemi.ac.jp/yozemi_journal/1810_03/
国立大学入試についての臨教審の提言は即座に実施に移された。センター試験移行に先駆けて科目数の削減が実施され、複数受験についてもAグループとBグループに分かれて実施することになった。まず旧帝大がAとBに分かれることを決め、その後各大学が地区ごとに協議してグループが決定した。しかし京大法学部は「滝川事件以来の学部の自治を脅かす大問題だ」(高坂正堯・京都大学法学部教授)として東大(Bグループ)と異なるAグループとなることを拒絶、「AB分割」という変則実施となった。そして87年の国公立大学入試は大荒れとなった。各大学への出願を共通一次試験前(事前出願)としたため、第1段階選抜で不合格がのべ10万人にのぼった。A・B両方の結果が出てから入学校を選べるようにしたため、入学手続き者が定員に満たない大学が続出、全大学で1万人の欠員となり、各大学は繰り上げ合格作業に追われた。
あなたは宇宙の中でたった独りで死ぬことを自覚しつつ死にたいか、それとも人生の最後だけは世間に妥協して家族に友人に恋人に見とられて死にたいか、そのときだけはやはり「死」を世間という名の薄汚い衣ですっぽりくるんでしまいたいか、ということである。『孤独について』
— 中島義道bot (@gido_bot) May 20, 2021
って条件がつくことが、普通じゃない=異常ってことの証左なのだ。
過去は消えないだなんて楽観的には思えないんだ。
思い出されることのない過去は事実を取り消されてしまうような気がしてしまう。
いくら自分に文責がないとはいえ、明らかに日本語としておかしいバカ丸出しの文章を清書させられるなど、地獄である。
肩と足首の関節が変形してしまったらしい。医者にも行ったがどうにもならない。
https://o-uccino.com/front/articles/47923#2022%E5%B9%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F
1970年前半までは、「市街化区域(都市化を勧める区域)」が定められたことで、都市化が進み、緑地が宅地(住宅用の土地)として売りに出されることが増えていました。これは農地についても例外ではなく、都市において緑地や農地の減少が加速していたわけです。
しかし、市街化区域内でも、古くから農業を続ける人から「農地として維持したい」との要望や「市街地にも一定の緑地を保全すべき」という社会的な要請を受けて、1974年に「生産緑地法」が制定され、市街化区域内でも農林漁業の継続が可能となりました。
さらに1991年には同法が改正され、「生産緑地」に指定された農地は建築物を建てるなどの営農以外の行為が制限されるようになりました。
その代わりに固定資産税が軽減され、また相続税の納税猶予が受けられるなどの優遇措置が取られようになりました。
ですが一旦指定を受けてしまうと、生産緑地の所有者が亡くなる等の理由で農業を辞めるか、あるいは指定を受けた日から30年経過するまでは、買取りの申請や売りに出すことはできなくなります。
つまり2022年で生産緑地法の改正から30年が経過し、固定資産税や相続税の優遇措置がなくなることで、生産緑地の指定が解除された農地の宅地化が進む可能性が非常に高いということです。
見て見ぬふりならまだいいのだ。見てもないのに見たつもり、それを動機の純粋性の強調で正当化できると思ってる頭の悪さ、これがほんとうに迷惑。
[名](スル)
1 激しく続けざまにたたくこと。「半鐘を乱打する」
2 野球で、次から次へと安打を放って相手の投手を打ち込むこと。「コントロールが甘くて乱打される」
3 テニス・バレーボールなどで、練習のためにボールを打ち合うこと。
愚にもつかない台本をどう演じたところで愚にもつかない芝居にしかならないだろう。
欠落した身体の随意性は入院中から1ミリも回復していない。
http://nabenavi.net/nash-equilibrium/
ゲーム理論におけるナッシュ均衡とは,ざっくりいうとどのプレイヤーも,自分だけでは,それ以上利得が大きくできない状態です.「状態」って言い方は不正確過ぎるか.もう少し正確に言うと,ナッシュ均衡とはどのプレイヤーも,他のプレイヤーがそのナッシュ均衡の戦略を選んでいるもとでは,その戦略が一番利得が高くなる(他の戦略では利得が同じか低くなる)ような戦略の組です.
思考するとは、世界を言語によって再現することではなく、世界を言語によってまったく新しく構成することなのだ。だから、哲学とは(詩と同様)言語によって世界の相貌を一変させることであり、場合によっては、世界を完璧に破壊することなのだ。『観念的生活』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) May 13, 2021
https://www.min-iren.gr.jp/?p=28961
プラシーボ効果(プラセボ効果)とは、本来は薬としての効果を持たない物質によって、得られる効果のことです。デンプンなどを使い、薬のように見せた物を偽薬、またはプラシーボと言います。プラシーボ効果は無視できないもので、プラシーボ効果のみを目的とした偽薬を販売している会社もあるくらいです。
プラシーボ効果は特に痛み、不眠、下痢に影響を及ぼし、ある実験では偽薬を飲ませた人の30%に鎮痛効果があったとの報告があります。また、体の細かい生理現象や臨床検査値にまでも影響を与えることがあります。しかし、偽薬によって副作用(有害な作用)が出ることもあります。
空間は見えない、時間は見えない、いまここに開かれているこの風景以外の世界は見えない、過去も見えない、私も見えない、私の脳髄も見えない、他人の心も見えない……膨大な数の「見えないもの」に支えられて、特定の風景がいま眼前に広がっている。『狂人三歩手前』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) May 13, 2021
1991年に大学を卒業し、2021年の今、30年が経ったわけだ。学生時代など遠い昔の話だ。
しかしマンションを買って今のところ引っ越してきてから20年、そう考えると、30年なんてたいした年月でもないとも思える。
この不自由な歩行が何かに似てると思ったら、スキー板を履いたまま、スキー場のレストハウスを移動するあの感覚だ。
わたくしは保守主義者の反民主主義的な素質にはなんの共感も覚えない。本質的問題と思われるものは、誰が統治するかではなく、政府がなにをなす資格を与えられているかである。(ハイエク 自由の条件)
— ハイエクbot (@hayek306) May 8, 2021
http://kazutakaimai.cocolog-nifty.com/kazutakaimai/2021/05/post-b55088.html
片麻痺の特徴的歩き方である「ぶん回し」の「ぶん」は、「ぶん殴る」の「ぶん」と同じ接頭語であろう。であるならば、「分回し」と「分」の漢字をあてるのはおかしいはずだ。
の肩が痛くてベッドで横になってるのもしんどい。
私は、古いアニミズム的な自然解釈に疑問をもちます。組織化するには精神(マインド)が必要ではないか、という考えですね。大切な点は、自然が、そのそれぞれの要素がパターン全体の中に適合するように動くことによって、すべての要素を持続させているということです。(ハイエク 自然・人類・文明)
— ハイエクbot (@hayek306) May 7, 2021
言語はこの世の謎めいた豊かさを効率的に秩序だてるものなのである。
— J.L.ボルヘス (@borges_bot) May 7, 2021
すべての人々を対象とした一般的ルールが広まり、個別の集団の利益のためならば他者に害を与えてもいいとする個別のルールが駆逐されていく。このプロセスを通じてしかオープンな社会は誕生しない。そのプロセスが、はるか先に普遍的平和の秩序の可能性を見させてくれるのである。(法と立法と自由)
— ハイエクbot (@hayek306) May 7, 2021
両者は効用の点においてはまったく別物であるけれど、その物理的構造はしばしば共通しているから、脱げにくくて脱ぎやすいなんて都合のいい物はそうそう存在しないのだ。
代償動作(代償運動)とは、本来の動作や運動を行うのに必要な機能以外の機能で補って動作や運動を行うことです。
リハビリテーションの現場において代償動作は、疾患や怪我によって機能が障害され、ある動作や運動が行えなくなった時に、ほかの筋肉の動きで動作を補って行うこと、あるいは、何か道具を利用することや環境を整えることで行えない動作を補完して目的を達成することを指します。
患者の姿勢や動作を評価する際や徒手筋力検査(MMT)を行う際には、代償動作が起こっていないかを確認し、代償動作を促したい動作や運動に修正するということが行われます。
例えば、以下のような何かの動作をほかの動作で補って行うことを代償動作ととらえます。
手を上に挙げる動作を行う際に指先から上げるのではなく、体幹を側屈(そっくつ:からだを側方に曲げること)させ、肩を挙上(きょじょう:もち上げること)させることで手を上げようと補うこと
歩行時に足が上に上がりにくい際にすり足で歩くことや、ぶん回し歩行(横に足をふって前に出すこと)で足を前に出そうとすること
骨盤や背中を起こして座ることがしんどいときに背中を丸くかがめて、背もたれにもたれて座ること
日常生活の場面やスポーツなどにおいて、代償動作がその人にとって改善すべきものである場合には、まず、代償動作が起こっている要因を探ります。そして、本来使われるべき筋肉を働かすことや関節の可動域を広げること、バランス力や協調性の向上を促して、代償動作が出現しないように姿勢や動作を修正していきます。
反対に、日常生活に必要な動作や運動が身体の機能障害によってうまく行えない場合には、ほかの行い方で行えるように提案・練習したり、道具や環境を整えたりして動作が行えるように代償し、生活機能の低下を防ぐようにすることもあります。
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=7643
医療用に使用される大麻は,医療用大麻と呼ばれている。大麻とは,わが国では「大麻取締法」で規制される大麻草(茎や根を除く)のことを言う。大麻には特異な構造を有する成分としてカンナビノイドが含まれている。現在までに,約70種類以上の成分が単離され,構造が決定されている。これまで大麻は乱用の観点から注目されてきたが,米国やカナダなどの諸外国ではその有用性が注目され,医療用大麻としての地位を獲得しつつある。
医療用大麻の例として,英国のGWファーマシューティカルズ社によって製造開発されたナビキシモルス(サティベックスⓇ)が挙げられる。サティベックスは天然の大麻抽出物であり,カンナビノイドとしてテトラヒドロカンナビノール(tetrahydrocannabinol;THC)とカンナビジオール(cannabidiol;CBD)(図1)を含む溶液で口腔内に噴霧して用いる。成分がカンナビノイド受容体に作用することにより,モルヒネとは異なる作用機序を介して鎮痛効果を示す。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%90%E7%95%8C%E5%8A%B9%E7%94%A8
限界効用(げんかいこうよう、英: marginal utility)とは、財(モノ、およびサービス)を1単位追加して消費することによる効用(財から得られる満足度)の増加分のこと[1]。ミクロ経済学の消費者理論で用いられる概念である。「限界」の意味については限界 (経済学)を参照のこと。
とくに「善良な市民」という名のマジョリティは、すみずみまで私の幸福に介入する権利があると信じており、私の幸福をけっして私にまかせてはくれない。たえず私を点検し、「それはほんとうの幸福ではない」という語り方で、私の幸福に揺さぶりをかけてくる。『不幸論』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) May 5, 2021
フツーの人間関係において本来負担する必要のない無意味なコストが膨大にかかるから、あんたには関わりたくないんだ。端的に言えばそういうことだ。
普遍的な、そのものとしての資本主義というものはない、資本主義はあらゆる種類の形成体の交叉するところにあり、本性からしてつねにネオ・資本主義であり、その西洋の顔と東洋の顔とを、さらにはその双方の改訂版を作り出すことによって最悪のものをもたらす。
— リゾームbot ドゥルーズ=ガタリ (@rhizome_bot) May 4, 2021
過去の出来事が起こったその場所に位置しますと、空間的な距離はゼロになりますから、時間的距離だけが純粋なかたちで浮かびあがってくる。それはなぜか言いようのない感銘を与える。そして、われわれは「過去はどこへ行ったのだ?」と自然に問いかけたくなるのです。『時間を哲学する』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) May 3, 2021
赦すとか赦さないとかの問題じゃない。
少なくとも私にとって、関わっちゃやべえ人間だと判断したから関係を断つのである。その判断を覆す理由がない。
犬を指して人であると強弁する者に対して、いや違う、それは人ではなく犬だと指摘することが異なる意見の排除なんだとよ。バカが。
たとえばあるベッドの「イデア」を心の眼の前に思い浮かべることなしにベッドを作ることなどできない。(略)製作を導くイメージあるいはモデルは製作に先行するだけではない。製品が完成しても消滅しないのである。完成の後も無傷のままに存続し、製作の無限の継続に役立つ。(『人間の条件』19)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) May 1, 2021
筋の通らぬデタラメな論理展開を価値観の多様性とは言わねえから。
私の失われた身体機能は時間の経過により回復するような種類のものではなく、むしろ時の経過によって老いによる衰退というレイヤーが重なって不自由な身体はその不自由さを増すことになるだろう。
最近のコメント