手すり
今思えば、病院職員の目を盗んで病棟隅の廊下の手すりでこっそりやった自主練が、最も意味ある歩行のリハビリだった。
少なくともおのがCPGの存在を自覚できる場であった。そこには単なる「立位による移動」でなしに「歩行」が残っていたのだ。
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今思えば、病院職員の目を盗んで病棟隅の廊下の手すりでこっそりやった自主練が、最も意味ある歩行のリハビリだった。
少なくともおのがCPGの存在を自覚できる場であった。そこには単なる「立位による移動」でなしに「歩行」が残っていたのだ。
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