入浴と血圧
入浴すると血管が拡張し、全身に血がめぐりやすくなるため、血圧は下がります。また、副交感神経が優位になることで、緊張がほぐれ、同じく血圧を下げてくれます。
また、入浴後は体の熱が放出されることで深部体温が下がり、深い睡眠へと導かれやすくなります。のちほど詳しく述べますが、睡眠は自律神経やホルモンバランスと密接に関係しており、長い目で見ると血圧の安定にも役立つと言えるでしょう
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入浴すると血管が拡張し、全身に血がめぐりやすくなるため、血圧は下がります。また、副交感神経が優位になることで、緊張がほぐれ、同じく血圧を下げてくれます。
また、入浴後は体の熱が放出されることで深部体温が下がり、深い睡眠へと導かれやすくなります。のちほど詳しく述べますが、睡眠は自律神経やホルモンバランスと密接に関係しており、長い目で見ると血圧の安定にも役立つと言えるでしょう
時間と記憶は溶解しあっている。これらは一枚のコインのふたつの面に似ている。時間がなければ、記憶もまた存在しないという事は、全く明らかである。[映ポ]
— Andrei Tarkovsky タルコフスキー (@TarkovskyJP_bot) April 30, 2021
あるはずがない、しかしあるのです。この本のページは、まさしく無限です。どのページも最初ではなく、また、最後でもない。
— J.L.ボルヘス (@borges_bot) April 28, 2021
[形]《「とでもない」の音変化》
1 思いもかけない。意外である。「―・い人にばったり出会う」「―・い発明」
2 もってのほかである。「―・い悪さをする」
3 まったくそうではない。滅相もない。相手の言葉を強く否定していう。「―・い、私は無関係だ」
[補説]「とんでも」に「ない」の付いた形だが、「とんでも」が単独で使われた例はなく、「とんでもない」で一語と見るのがよい。とすれば、「ない」を切り離して「ありません」「ございません」と置き換えて丁寧表現とするのは不適切で、丁寧に言うなら「とんでもないことです」「とんでもないことでございます」「とんでものうございます」と言わなければならない。しかし、最近は「とんでもありません」「とんでもございません」と言う人が多くなっている。
平成19年(2007)2月文化審議会答申の『敬語の指針』では、相手からのほめ言葉に対して謙遜しながら軽く打ち消す表現として「とんでもございません(とんでもありません)」を使っても、現在では問題ないとしている。
なお、「とんでもない」には「もってのほかだ」と強く否定する意味もあり、「とんでもないことでございます」を使う場合は注意が必要と『指針』は述べている。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%84/
[ハイパーインフレーションとは]ひとびとが貨幣を貨幣として受け入れることを拒否し、先を争って貨幣から遁走している状態である。それは、恐慌とは逆に、何らかの理由で、世の多くのひとびとが貨幣よりも商品を欲してしまうことによってひきおこされる(岩井克人)
— 経済思想bot (@historyofecon) April 25, 2021
網膜にただ文字を映すことを「読書」とはいわないんだよ。
私が立位で排尿し、ほとんど無意識に左手をタンクのレバーに伸ばして、それをひねり、水を流した。そしてそのことに自分で驚き、妻に報告するのである。
ストビで入ることができない路地や入口がどこにあるんだかわからないマンションやビルの私道に実際に行ってみた。 とくに電動車椅子になってから、路上の駐車違反の迷惑を痛感するようになった。
のは、立っているのが「疲れる」からじゃないんだよ。
https://www.inamura-clinic.com/knowledge/knowledge_saisei.html#p
怪我をして手足を切ったり、骨折したりしたときに治療をすれば皮膚や骨は再びつながって治ります。これは損傷した部位で細胞が分裂して組織を再生してくれるからです。脳はこの組織を再生する能力が乏しい組織です。脳は神経細胞が互いにネットワークを形成している精密なコンピューターのようなものです。このネットワークは子供のころに作り上げられてしまいます。原則として、障害をうけてネットワークをつなぐ配線が切れてしまうと再びつながることはありません。
脳卒中や脳外傷で発生した手足の麻痺などの症状がリハビリテーションで軽快することがありますが、これはネットワークが再生したのではなく、障害を受けずに残ったネットワークの機能が強化されるので症状が軽くなると考えられています。
脳の中の神経細胞は再生しませんので大事にしなければなりません。アルコールや薬物中毒で神経細胞は直接障害を受け、その数が減ってしまいます。アルコール中毒者や薬物中毒の人は、若いころから明らかに脳の萎縮(神経細胞の減少)がみられ、脳の機能の低下があります。
脳の神経細胞には脳血管から栄養が送られています。脳血管に限らず、血管は加齢とともに動脈硬化が進み小さな血管がつまってゆきます。このため加齢とともに神経細胞に栄養が送られなくなり、徐々に神経細胞がなくなってゆきます。こうして加齢とともに脳の機能の低下が起こり、物忘れがひどくなったり、計算が苦手になったり、ひどい場合は老人性の痴呆症が起こってくるのです。一旦起こった動脈硬化はもとに戻せません。正常な老化として血管の動脈硬化は進んでゆくものですが、できるだけ動脈硬化が進むのを防ぐ努力は必要です。高血圧症、糖尿病、高脂血症などはその日その日はどこかが痛いとかいう病気ではありませんが、長年の間に全身の血管に影響を及ぼします。治療しておかないと血管の動脈硬化の進行は早くなり、脳の老化が健康な人よりも早く起こります。
近年おとなの脳の中に分裂して神経細胞になることができる神経幹細胞という細胞が見つかりました。この神経幹細胞は胎児や新生児の脳にしかないと考えられていましたので、大きな発見です。今のところこのおとなの脳の中の神経幹細胞がなにをしているかわかっていません。脳の機能は神経細胞の数だけではなく、神経細胞間のネットワークが重要ですので、神経幹細胞が分裂して神経細胞になったとしてもネットワークまで作ってくれるかどうかはわかりません。しかし、もしその可能性があるとしたら、外傷や脳卒中など脳の病気の後遺症で苦しむ人にとっては、新たな治療につながる可能性があり、今後の研究の発展が期待されます。
塩分を過剰に摂取すると、体内に水分が蓄積し、血流量が増えることで血圧が上昇するため、塩分と血圧には深い関係がある。ただ、高血圧には本態性高血圧や二次性高血圧などがあり、塩分以外が主な原因として高血圧になるケースもある。そのため、高血圧が必ずしも塩分によるものだとは言い切れない。実際に、塩分と血圧は必ず関係があるわけではなく、まだ証明されていないとする報告がなされたこともある。また、ナトリウムと水分を共に排出する腎臓のナトリウム排泄機能が、うまく働かない場合も高血圧になるといわれている。
塩分で血圧が高くなる仕組みは血液量
塩分に含まれるナトリウムを多く摂ると、血液の濃度が高くなるため、浸透圧を一定に保とうとする働きで血液中に水分が増える。ただ、水分だけが増えることはなく、水分と同時に血液量も増えるため、血管壁にかかる負担が大きくなり、血圧が上がる仕組みになっている。他にも、肥満などの生活習慣や遺伝、薬などによって、血圧は上がるといわれている。
にも苦労する、そんな局面が自分の人生に訪れるとは夢にも思わなかった。
下手に背負われたら、亜脱臼の肩関節が完全に外れてしまうんだ。言ってもそのことが理解できないなら関わらないでくれ。
書斎のパソコンを訪問修理してもらった。マザーボードの交換だとか。
グリーンによると「自由」は単なる外的拘束の欠如や放埓とは区別されるべきものである。真の自由とは価値のあることを他者と共に行為し享受する能力のことである。人間にとっての究極的な価値基準は「人格」であり人格の完成こそが最高善であるとグリーンは主張する。
— 政治思想Bot (@Seiji_shiso) April 19, 2021
に、下手にお礼を言ったりすると、その恩着せがましい性癖を助長することになるから、やはり関わらぬが吉である。
書斎のPCが不調だ。技術サポートを受けて対症療法的に「改善」してもまたすぐおかしくなり、不安定でとても使い物にならない。
身体を支えるのに役立つが、その一方で、動作を阻害する「荷物」にもなるのだ。
生命が消えるその時、空間も時間も死さえもが消え失せるだろう。
— J.L.ボルヘス (@borges_bot) April 17, 2021
なるほどその意味では確かにデュシャンのいうとおり「死ぬのはいつも他人ばかり」だ。
「動かない」「動かせない」というのは随意性の話をしてるのであって、可動域とはまたぜんぜん別次元のことなのである。
水の逆流を防ぐなど合理的目的をもって施されたバリアもある。というか、ほとんどの場合、そうだろう。だから、なくせばいいという単純な話じゃないはずだ。
きみは他人と対立することが怖い。だから、自分を押し殺してまでも他人に合わせようとする。自分が傷つかないように。しかし、それは誠実ではない。ただの自己防衛であり、ずるい功利的な演技だ。つまり、自己中心的なんだ。それを知っているから、きみはそうすることでさらに悩むのだ。『カイン』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) April 17, 2021
痛みと違和感は改善することなく相変わらずある。
「慣れてきた」というのはそれらが軽くなったわけではなく、それらに常につきまとわれていることに慣れてきたのだ。
意志とは「思う」こととは別のことなのです。嘘だと思うなら、いま「立ち上がろう」と思ってください。思ったでしょう。でもあなたはただ「思った」だけで立ち上がっておりませんね。では、今度は立ち上がってください。立ち上がりましたね。『哲学の教科書』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) April 15, 2021
ある芸術作品の価値というのは、かなりの程度、それを受容するものに応じて相対的である。[映ポ]
— Andrei Tarkovsky タルコフスキー (@TarkovskyJP_bot) April 14, 2021
気圧の低いせいだろうか、なんだか今日は一日じゅう、頭がぼうっとしてた。
https://benesse.jp/teikitest/chu/japanese/japanese/c00534.html
一般的に,漢字の熟語は音読みどうし・訓読みどうしを組み合わせて読みます。その例外として重箱読み・湯桶読みというのがあります。
■重箱読み・・・音読み+訓読み
(例)台所(「台(ダイ)」が音読み+「所(どころ)」が訓読み)
職場(ショクば),額縁(ガクぶち),団子(ダンご),本屋(ホンや),残高(ザンだか)など
■湯桶読み・・・訓読み+音読み
(例)高台(「高(たか)」が訓読み+「台(ダイ)」が音読み)
場所(ばショ),見本(みホン),敷金(しきキン),豚肉(ぶたニク),雨具(あまグ)など
妄想の物語を自己完結したオリジナルの文法に依って単語の羅列で表現されても何も伝わらないのだよ、ということを指摘しも、徹底した自己相対化能力の欠如と歪んだ自己愛の肥大により、理解できない、決してその態度は改まらないのだから、永遠に関わらないでくれ。
車椅子用トイレがあるにはあるが、そこに通じる廊下に靴が脱ぎ散らかされていて車椅子では通ることができない。
こんな店には二度と行かないと決め、実際そうしている。妥当なやり方だろう。
先日、区役所へ行ったとき、車椅子でフツーに歩道を「歩い」ていたのだが、その先にはバス停があって、後方からやってきたバスの運転手に「車椅子の人、乗りますか?」と、拡声器で言われたのだった。
声に依る会話でなくとも、バス停に並ぶ、という無言の行為自体がバスに乗るという意思表示(=言葉)であるし、くだんのバスの運転手には私がバス停に向かっているのかもというふうに見えたわけで、それは誤解であったわけだれども、やはりそこに「言葉」を読み取ったわけだ。私は首を横に振って「乗らない」を伝達した。これで「会話」は終了したが、そこに至る無言の会話の数々に、太田省吾の無言劇のことを思ったりしたわけ。
理屈の通じないバカは、後からどんな無理筋な難癖をつけてくるかもわからない(それが無理筋であるということも理解できない)から、そもそも関わらぬが吉である。
どうして、ギリシア人が全体として、たとえばゲルマン人よりも多くの精神を持つに至ったのか、私は知らない。しかし、絶えず思考を続けようとするエネルギー、いかなる中途半端なものにも満足しまいとする良き意志――ここにおけるギリシア的なもの、それ故に特質である。-ギリシア人の祭祀-
— フリードリヒ・ニーチェ (@F_W_N_jp) April 11, 2021
今思えば、病院職員の目を盗んで病棟隅の廊下の手すりでこっそりやった自主練が、最も意味ある歩行のリハビリだった。
少なくともおのがCPGの存在を自覚できる場であった。そこには単なる「立位による移動」でなしに「歩行」が残っていたのだ。
というからには、第一の人生ってものがあったわけだ。
そして第二がはじまったのなら、第一は終了したのである。
第一の終了を受容しなけりゃ第二ははじめられない。
しかし自称善人が、所詮は他人事の無責任で通俗的な「前向き」さで、この受容を妨げる。不要な干渉はよしてくれ。迷惑だ。
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/20/tosin04/03.html
「補てん」「ばん回」「伴りょ」のように,漢語の一部を仮名書きにするいわゆる交ぜ書きは,文脈によっては読み取りにくかったり,語の意味を把握しにくくさせたりすることもある。これは,情報化の問題というより表記の問題として位置付けられるものであるが,ワープロ等の仮名漢字変換により漢字が簡単に打ち出される現在,情報機器の広範な普及という観点からも,検討されるべきであろう。
口だったり顎だったりで、動かぬ左手の代償。
2021.4.6に購入。
【軽率な概括 hasty generalization】と【過度な単純化 oversimplification】で自分の論調に合致するテキトーなことを言い続ける【確証バイアス confirmation bias】の塊です。公共の電波を使って個人の【自己実現 self-actualization】を追求するのは迷惑なのでやめて下さいhttps://t.co/Zo6NFKBOWJ
— 藤原かずえ (@kazue_fgeewara) August 24, 2020
人間の条件は、人間が条件づけられた存在であるという点にある。(『人間の条件』20)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) April 5, 2021
「善人は自分自身の本心に耳を傾けない」。なぜか?自分自身の本心に耳を傾けると、そこには他人を傷つけ自分も傷つくことになる不穏な言語がうごめいていて、身の安泰を脅かされるからである。『善人ほど悪い奴はいない』
— 中島義道bot (@gido_bot) April 3, 2021
道具は著しく世界的な対象物であるから、基準に用いて全文明を分類することさえできる。(『人間の条件』20)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) April 1, 2021
2017年10月に大病し、ピタパタの活動休止を余儀なくされて以降はとくに、発信すべき新たな情報もないから、このブログも私個人の備忘録的性格をますます強めているわけだ。
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