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2021年1月17日 (日)

国公立大入試制度の変遷

 

Ⅰ期校・Ⅱ期校制が30年続いた後、1979年の共通一次試験導入と同時に国公立大の受験校は1校のみとされ、1986年までの8年の間は、国公立大が1校しか受験できない時代が続いた。
しかし、1987年、全国の国公立大をA日程とB日程に分けて2回入試を行い、合格した中から入学する大学を選べる「連続方式」が導入され、国公立大は再び複数受験が可能となった。当時A日程の京都大とB日程の東京大をダブル合格した受験生の多くが東京大に流れたり、また大学で「割増し合格」が激化するなど新たな問題が生じてきた。そこで国立大学協会(以下「国大協」)は1989年から、連続方式に加えて、「前期日程」と「後期日程」に募集人員を分けて入試を行う「分離・分割方式」を導入した。この後10年間は2方式が併用される時代が続くことになるが、1989年には京都大が、翌年には東京大など、毎年多くの大学が連続方式から分離・分割方式に移っていく。1997年には国立大が分離・分割方式に1本化、2年後は公立大もこれに追随し、1999年国公立大の入試制度は分離・分割方式に1本化され今日に至っている。

https://www.keinet.ne.jp/magazine/guideline/backnumber/07/09/kyoing0709.pdf

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