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京王稲田堤駅前の銀行(ATM)へ記帳の用事で。&コンビニ、そのついでに向かいの写真屋を覗く。紙焼きの写真のデータ化は、ここにお願いするのが良さそうだ。
痛みは、大変複雑な神経システムによってコントロールされています。熱いフライパンに触るといったような、外部からの刺激を神経の受容器が受け取り、その刺激が脊椎神経を通り、大脳に伝わることで「痛み」と認識されます。これらの受容器は、暑さ、寒さ、光、質感、圧力、そして痛みを感じます。さらに痛みは、吐き気や、めまい、衰弱といった他の症状を引き起こすこともあります。
ハイデガーによれば、動物は死なないのであって、くたばり、亡くなり、生きるのをやめるけれど、死にはせず、死としての死にはかかわりがないのです。問題として残っているのは死の《死としてのもの》、すなわち、死の現象学の可能性が、どのようなものでありうるかを知ることです(『言葉にのって』)
— デリダbot (@J_Derrida_Bot) January 28, 2021
北大農学部の地下室に芝居のチラシを貼ったのだった。
なんでこんな人目に付かぬ所へ? と、30年くらいしたら誰かが見つけて首をかしげるのではないか、などということをいいながら半ば悪戯で。
さて、卒業して30年経ったが、どうだろう、誰か見つけてくれただろうか?
「論理」・・・思考や議論を進めていく上での道筋。英語だと「logic(ロジック)」
「理論」・・・事実や現象を説明するための体系的な知識。英語だと「theory(セオリー)」
「論理」とは「思考や議論を進めていく上での道筋」を指します。簡単にいうと「話の展開の順序」ということになります。
話す場合は考えがまず先にあるはずなので(何も思考せずに話すのは物理的に不可能なので)、「論理」とは「思考の法則や形式」と捉えることもできます。
「論理」の漢字をみると「論ずる理(ことわり)」ですから、「論理」=「話したり、考えたりする上での道筋」という意味であることがわかります。
「理論」は「個々の事実や現象を統一的に説明するために道筋を立てて組み立てられた知識の体系」です。
「説明するために道筋を立てて」とは「論理的」ということです。つまり「理論」は「実際に起こったことを論理的に説明するための原則的な考え」を指します。
つまり「理論」は意味的には「論理」を内包します。
「理論」の漢字をみると「理の論」ですから、「理論」=「道筋の見解」=「道筋の通った考え方」という意味であることがわかると思います。
循環器専門医・池谷敏郎氏「季節の変わり目、特に天候が変わりますでしょ。自律神経が 非常に大きく乱れる。そうすると血圧も大きく変動しやすい。上がる時も下がる時も脳卒 中などのリスクが高まってしまうので、自律神経が乱れるこの時期は気をつけていただき たい」
「天気が崩れる前の低気圧が近づいてくると血圧が上がるという傾向があって、外来で患 者さん(の血圧)を測り続けていると、高い日はほとんどの方が高くなったりという傾向 が見られる。暖かくなると(血圧が)下がるかと思いきや、それを不快に感じることの方 が要因として大きくなって、かえって血圧が上がる方もいらっしゃいますし、特に薬を飲 んで治療中の方とかは脱水(症状)とかになると今度は逆に(血圧が)下がりすぎてしま うんですね。そうすると脳の血流が落ちて(血管が)詰まりやすくなったりという危険性 も出てきてしまう。特に夏のサウナなんかは気をつけて欲しいですね」
https://www.news24.jp/articles/2018/05/18/07393439.html
同感である。近年、デマ拡散と印象操作に勤しむ人々は、批判されても概ね自分の責任を他に転嫁して責め立てるか、批判者の意図を歪曲して逆切れする。今メディアに棲息している人々の多くがこうした姿勢で一貫していて、原発事故やコロナ禍のような非常時にその無責任で卑劣極まる振る舞いは常軌を逸している。
— the_spoiler (@don_jardine) January 25, 2021
ヘンな口調で道理の通らぬことをいうのが「ユーモア」だと思っているのか。バカめ。
私は、生き延びることを死と対立させはしないでしょう。生き延びることを、死とも生とも無関係なあるいは別の可能性として、独創的な概念として規定したことすら、私にはありました(『言葉にのって』)
— デリダbot (@J_Derrida_Bot) January 25, 2021
http://www.homopants.com/philosophy/a_bib.html#retire
右脳が梗塞に襲われて、このところ、私はカンというものが働きが鈍くなっているのを感じていた。その代わり、論理性とか論理的推理とかが非常にスムーズに働くようになっているのも感じていた。右脳の情動性が左脳の知性の働きを邪魔しない。つまり≪バランスをとろうとしない?≫からだ。
川崎の自宅で細く開けた台所の窓から吹き込んでくる風の冷たさが、30年前に暮らした札幌の春を思い出させる。
前身となる建物は札幌オリンピック前年の1971年に旧明治生命により建設された。地下1階・地上13階建てで、建築面積は現在よりやや狭く、札幌駅前通側には電光式の時計と温度計が設けられていた。
どのような場合であれ、"過去"はより安定した、揺るぎないものなのだ。"現在"は、指の間からこぼれる砂のように、滑り落ち、消えていくのだ。そして、みずからの物質的な重量をただその回想の中に見いだすのだ。
— Andrei Tarkovsky タルコフスキー (@TarkovskyJP_bot) January 24, 2021
カントが教えてくれることは、すべての「目的」は、人間理性が自然に持ち込んだものにすぎないということ。自然にも、歴史にも目的なんぞ片鱗も含まれていない。ただ、われわれ人間の眼にはあたかも目的があるかのように見えてしまうだけ。『人生に生きる価値はない』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) January 23, 2021
安らぎと屈辱と恐怖を感じながら彼は、おのれもまた幻にすぎないと、他者がおのれを夢みているのだと悟った。
— J.L.ボルヘス (@borges_bot) January 22, 2021
草原が何かを語りかけようとする夕暮れのひとときがある。だが、それは決して語らない。いや、おそらく無限に語りつづけているのに、われわれが理解できないのだ。いや、理解はできるのだが、音楽とおなじでことばに移せないのだ……。
— J.L.ボルヘス (@borges_bot) January 19, 2021
われわれは、常に現在に生きているのではない。常に現在と過去に生きているのである。過去に生きることができる者のみが、現在に生きることができる。現在にのみ生きている、と言われる動物や赤ん坊は、過去に生きることができないがゆえに、じつは現在にも生きていないのである。『狂人三歩手前』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) January 17, 2021
能力にははなはだしい個人差がある。生まれたそのときから、各人の境遇は残酷なほど不平等である。そのうえ、それぞれの人生はたえまなく偶然に翻弄されつづける。生きるとはこうした理不尽をぐいと呑み込むことである。『生きにくい…』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) January 17, 2021
あなたが彼に向かって「後悔するのはおかしいよ、だってあなたはそのとき、そう決意して行為したのだから」と説得しようとしても、彼は後悔をやめないでしょう。なぜか? 帰するところ、彼は「そのとき」自分がそうしないこともできたはずだ、と信じているから。『後悔と自責の哲学』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) January 16, 2021
Ⅰ期校・Ⅱ期校制が30年続いた後、1979年の共通一次試験導入と同時に国公立大の受験校は1校のみとされ、1986年までの8年の間は、国公立大が1校しか受験できない時代が続いた。
しかし、1987年、全国の国公立大をA日程とB日程に分けて2回入試を行い、合格した中から入学する大学を選べる「連続方式」が導入され、国公立大は再び複数受験が可能となった。当時A日程の京都大とB日程の東京大をダブル合格した受験生の多くが東京大に流れたり、また大学で「割増し合格」が激化するなど新たな問題が生じてきた。そこで国立大学協会(以下「国大協」)は1989年から、連続方式に加えて、「前期日程」と「後期日程」に募集人員を分けて入試を行う「分離・分割方式」を導入した。この後10年間は2方式が併用される時代が続くことになるが、1989年には京都大が、翌年には東京大など、毎年多くの大学が連続方式から分離・分割方式に移っていく。1997年には国立大が分離・分割方式に1本化、2年後は公立大もこれに追随し、1999年国公立大の入試制度は分離・分割方式に1本化され今日に至っている。
https://www.keinet.ne.jp/magazine/guideline/backnumber/07/09/kyoing0709.pdf
さよならを口にするのは、別離を否定すること、すなわち「今日は別れる振りをしても、どうせ、明日また会うのだ」と言うことだ。
— J.L.ボルヘス (@borges_bot) January 14, 2021
https://yamanekoya.theshop.jp/
車椅子用グッズなど。
相互に人間として現れるのは、単なる肉体的存在と違い、言論と活動によって示す創始(イニシアティヴ)にかかっている。しかも、人間が人間である以上止めることができないのが、この創始である。(『人間の条件』24)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) January 14, 2021
今ごろこういうトンチンカンなコメントをする人がいるが、メルケルは「米政府が直接介入しろ」といってるんだよ。 https://t.co/8X9TGjfi3b https://t.co/ge44jifwPE
— 池田信夫 (@ikedanob) January 13, 2021
筆跡鑑定(ひっせきかんてい)とは、鑑定の一種で、複数の筆跡を比較し、それを書いた筆者が同一人であるか別人であるかを識別するものである。筆跡鑑定を行う人間を「筆跡鑑定人(ひっせきかんていにん)」と呼ぶ。筆跡の鑑定は、筆跡に現れる個人内の恒常性と希少性の存在を識別する事によって成立する。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%86%E8%B7%A1%E9%91%91%E5%AE%9A
芸術作品の場合、<探求>という言葉ほど意味を持たないものは無い。その言葉によって、無力や内的空白、真に創造的意識の欠如、くだらない見栄などが隠蔽されてしまうのだ。
— Andrei Tarkovsky タルコフスキー (@TarkovskyJP_bot) January 12, 2021
偏差値=(点数-平均点)x10/(標準偏差)+50
仮に100点満点で平均点が35点標準偏差が15とすると95点を取れば偏差値は90となります。まあ、実際にそんな偏差値を取ったことはないけれども、理論上はあり得る数字。その時の医学では明らかな原因が分からないため、痛みの原因は心の病気であるといわれた時代があり、その頃の名残で心因性疼痛と呼ばれていました。
最近は脳科学の急激な進歩により様々な脳の機能が解明され始めており、脳の機能異常が痛みの感受性を変化させる(敏感にする)可能性が考えられています。
いわゆる精神疾患と呼ばれていたうつ病や統合失調症等も、最近はパーキンソン病などと同様な脳の機能(器質)異常とされ始めているのと同じで、高血圧や糖尿病などと同じ、体の異常に起因する疾患と捉えられ始めています。
https://www.momotarou-painclinic.com/sick/reason/pain24.html
私は小学校低学年のころから「なんでこの身体はぼくの身体なのだろう」という問いに引きずり回されてきました。あまりにも辛いとき、苦しいとき、この身体から抜け出せたらどんなにいいのにと、思うことしばしばでした。そして「離人症」に似た体験を繰り返していました。『「私」の秘密』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) January 12, 2021
https://answers.ten-navi.com/dictionary/cat04/1361/
対症療法とは、表面化している症状を緩和させ、苦痛を和らげるための治療法である。姑息療法ともいう。
例えば、風邪薬の服用は、のどの痛みや発熱などの症状を緩和・改善させるが、風邪のウイルスを死滅させるわけではない。このように薬物・レーザーなどを用いることで神経系を抑制・遮断し、苦痛を制御することを目的とする治療である。
治療の理想は疾患の根源に働きかける「原因療法」だが、疾患の進行速度や患者の全身状態によっては原因を探るほどの多くの時間を取れない事例も多く、現状は対症療法と原因療法の組み合わせによって治療するケースがほとんどである。
脳卒中の後遺症でよくみられる障害の一つに「痙縮 けいしゅく」という症状があります。
痙縮(けいしゅく)とは筋肉が緊張しすぎて、手足が動かしにくかったり勝手に動いてしまう状態のことです。
手指が握ったままとなり開きにくい、ひじが曲がる、足先が足の裏側のほうに曲がってしまうなどの症状がみられます。
脳卒中の発症後、時間の経過とともにまひ(片まひ)と一緒にあらわれることが多い症状です。
条件分岐とは、プログラム中で、ある条件が満たされているかどうかによって次に実行するプログラム上の位置を変化させること。また、そのような分岐を行うコード。https://e-words.jp/w/%E6%9D%A1%E4%BB%B6%E5%88%86%E5%B2%90.html#:~:text=%E6%9D%A1%E4%BB%B6%E5%88%86%E5%B2%90%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0,%E3%81%AA%E5%88%86%E5%B2%90%E3%82%92%E8%A1%8C%E3%81%86%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%80%82
アダムとイヴのお話が真実なら、われわれの先祖であるアダムそしてイヴは本当に罪なことをしてくれたと思います。「知恵の木の実」とは具体的には「言葉」なのですが、それは「時間」でもあります。つまり、言葉を知った瞬間に時間を知ったのです。自分が死ぬことを知ったのです。『時間を哲学する』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) January 5, 2021
自由とは個人の努力にたいする直接的統制を放棄するからこそ、自由社会はもっとも賢明な支配者の頭脳が包含するよりもはるかに多くの知識を利用することができるのである。(自由の条件)
— ハイエクbot (@hayek306) January 6, 2021
もはや、われわれには引用しかないのです。言語とは、引用のシステムにほかなりません。
— J.L.ボルヘス (@borges_bot) January 5, 2021
ハッキリと告げたはずだ、あんたには関わらぬが吉であるという判断に至ったと。
その理由を今一度述べることはしない。述べたところでまた新たな曲解の材料を与えることにしかならないからだ。
かつて百貨劇場のあった場所に建つマンション。2002年3月竣工とのこと。
宮台真司氏の『制服少女たちの選択』が出版されたのが1994年。それから30年近くの時を経た今〈ジャパゆきさん〉的お涙ちょうだいの物語を創作の構想として語り、そんな浪花節がアプリオリに社会正義たると信じて疑わぬ、その時代感覚のなさ、批評性のなさが陳腐だと私は言うのである。もっとも、てにをはもままならぬ自称作家が何を書こうが誰も知ったことではないし、自己満足の遊戯など好きにすりゃあいいのであるが。
ジャパゆきさんは、1983年頃に流行語になった、アジア各国から日本に出稼ぎに来る女性のことを指して呼んだ語である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%95%E3%82%93
年賀状を取りに郵便受けへ、マンション1Fエントランスまで。
元旦に怪我したら病院も休みだから、杖歩行でなく車椅子で。慎重に慎重を重ねて。
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