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2020年12月22日 (火)

5教科5科目800点満点時代

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%85%B1%E9%80%9A%E7%AC%AC1%E6%AC%A1%E5%AD%A6%E5%8A%9B%E8%A9%A6%E9%A8%93
1987年 前年に中曽根政権の下で決定された改革による新制度で試験が実施される。この改革では、理科・社会の試験を以下のように変更することで、大多数の国公立大学で必須となる科目を「5教科5科目」の800点満点とした。 理科(60分、100点) 物理、化学、生物、地学、理科Iのいずれか1科目 社会(60分、100点) 「倫理、政治・経済」、日本史、世界史、地理、現代社会のいずれか1科目 「現代社会」、「理科I」の2科目は、普通科および理数科の卒業(見込み)生が各教科の中から選択することを禁じた。また、ほとんどの国公立大が、それぞれ設定する受験科目から除外した。 自己採点方式を廃止し、一次試験願書とともに二次試験受験願書も出願する形式にする 一校受験からABグループによる複数受験を認めた。公立大学の一部は別日程とした(ちまたでC日程と呼ばれ、1988年度入試から正式にC日程という名称が採用された) 定員の一部の募集を保留しC日程後に二次募集分として募集する方式を認める 大学の裁量により傾斜配点を行うことができる。 という内容だった。しかしこれにより、 受験科目減少により、大学入試に不要な科目(「現代社会」、「理科I」)を別科目に置き換える高校が続出した。いわゆる高等学校必履修科目未履修問題はこのときからすでに発生していた。「現代社会」と「理科I」はわずか2年で事実上受験科目から外されることになった。 東京大学がBグループであったのに対し、京都大学がAグループであったため、W合格者の多くが東京大学に入学した。翌年、京都大学の文系学部では定員をABグループに分け、その大半をBグループ(法学部は全定員をBグループ)にする方法が取られ、導入翌年から複数受験の足並みは崩れることになった。

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