物はまた、まずもって悟性に対する意味にあるのではない
物はまた、まずもって悟性に対する意味にあるのではなく、身体の視察によって捉えられる一つの構造であって、もし我々が現実的なものを知覚経験の中で我々に現れる通りに記述しようとするなら、我々はそれが人間学的賓辞で蔽われているのに気づく。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) November 14, 2020
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