「私」がアプリオリに私自身であると言い切れぬ
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ところがだ、半身不随となった今、私は己の肢体の各々の位置を身体図式によってではなく、他人にそうするように目視によって知るのである。「私」がアプリオリに私自身であると言い切れぬと感じる所以である。
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