知覚される「あるもの」はいつでも他のものの最中にある
知覚される「あるもの」はいつでも他のものの最中にある。それは常に「野」の一部分をなしている。全く一様な平面で知覚されるべき何ものも提示しないようなものは、どんな知覚の対象とも成り得ない。現実の知覚の構造だけが知覚する事の何たるかを我々に教えることができるのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) October 20, 2020
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