死ぬのはいつも他人ばかり
「私」は私を<すでに生まれている>とか<まだ生きている>としてしか捉えられない---私の出生や死を前人称的な地平としてしか捉えられない。つまり、私は人が生まれそして死ぬことを承知してはいるが、自分の出生や死そのものを知ることはできない。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 9, 2020
マルセルデュシャンンのいった「死ぬのはいつも他人ばかり」とは、つまりはそういうことだろう。
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