自然全体は我々自身の生の上演であり、もしくは、我々の一種の対話の相手
諸物の間の関係または物の諸局面の間の関係が常に我々の身体によって媒介されている以上、自然全体は我々自身の生の上演であり、もしくは、我々の一種の対話の相手である。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 30, 2020
« 弘南堂書店 | トップページ | “文化/自然という二項対立”を疑わない思考形式 »
「哲学」カテゴリの記事
- 他者をあまりにも安易に理解してしまう(2022.05.24)
- どんなに自分が努力しても、相手が努力してくれるとは限らない(2022.05.11)
- 苦悶(2022.05.08)
- 達成(2022.05.06)
- 法の支配(2022.05.04)
コメント