本来似てしかるべきもの
アーレンとは言っている。『醜いテーブルも美しいテーブルと同じ機能を果たすけれども、物の優秀性が判断される場合の標準は、単なる有益性ではなく、その物が本来似てしかるべきものに一致しているか一致していないかという標準である。』と。
私は肘の拘縮で歪んだ己の身体を眺めて、これは自分の本来似てしかるべきものに一致していないと思う。
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