見るという行為の全体
一つの対象に関して私が行う見るという行為の全体は、ただちに、共存するものとして捉えられる世界のあらゆる対象の間で繰り返される。なぜなら、これらの対象のそれぞれが、ほかの諸対象がそれについて「見る」ところの全体だからである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) May 7, 2020
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