身体は、物の特性よりもむしろ物を処理する自分なりのやり方を表現する
身体は、物の特性よりもむしろ物を処理する自分なりのやり方を表現するのであり、言い換えれば物と世界とが自分にとって何であるかを表現するのだ。生きた有機体は、それがまさに現実的行為の中心であるというそのことによって、パースペクティヴの中心をなすのである。『心身の合一』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) April 19, 2020
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