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2020年3月

2020年3月31日 (火)

物事を系統立てて考えることができない

 

ほんと、この動画で言及されているように、物事を系統立て考えることができないヤツにはくたびれる。
そしてそういうヤツは、俗情との結託を強めることでおのが善人性が担保されると思ってるから、平気で陳腐な「正義」を振りかざすのだ。

終息/収束

https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/072.html
「終息」は「完全制圧」であるのに対して、「収束」の場合には、ほぼ事態が収まっていることを意味します。

LINEの履歴

入院中の2018年1月2日まで妻とのLINEのやりとりを遡ることができた。何度かデータが飛んでいるからダメかと思っていたが。履歴をテキストで吐き出して保存しておいた。単に「思い出」としてだけでなく、創作の種になるかもしれぬから。

2020年3月30日 (月)

コードなき差異

ひらがな書きが適当な語

http://www.yamanouchi-yri.com/yrihp/techwrt-2-4s/t-2-4s03fb.htm

副詞、接続詞以外にも常用漢字表にない字種・音訓が使われている場合がよくあります。また、「出来(でき)る」とか「-の様(よう)に」などの語は、常用漢字表の漢字あるいは音訓であってもそれを使う由来・意味は現在さほど考慮されていません。このように習慣だけで漢字書きにしている語はひらがな書きが一般的です。

6時起床

というか、眠れぬまま、朝を迎えた。
睡眠不足はよくないが、仕方がない。このまま今日は起きてしまおう。思えば入院中は毎朝この時間に叩き起こされていたのだった。半年間の入院で、一日も欠かさずリハビリを受けたが、失われた身体機能は全く、1ミリも回復することはなかった。
とりあえず一杯のコーヒー、それから煙草を一本。入院中には叶わなかったシャバの「自由」である。それから日課の血圧測定。こんなコンディションで、さぞ数値は悪いだろうと予想すれば、意外にも厚労省ガイドラインの定める「正常」内である。わからないものだ。

病室は寒くて、早朝、トイレに起きた同室の患者がベッドに戻りたいと泣いていたのが思い出される。ホスピタルにホスピタリティなし、と悟ったものだ。もう二度とあんな体験はご免だ。もしも安楽死の選択肢があるならば、間違いなくそちらを選ぶだろう。

2020年3月29日 (日)

今日は雪

2018年2月に病院で経験した大雪を思い出す。
ところで、知り合いの看護師が先日心臓マッサージした患者が入院後に亡くなったそうである。しかし一時的に蘇生した結果、奥さんや子供が臨終に間に合ったとのこと。
まさにそうした「一時的に甦生した」状態の時間を今、自分は生きているのだなと感じる。
あの大雪のとき、妻は病院に来られなかった。
今日は自宅の部屋の窓から一緒に雪を眺めることができている。幸せだ。

20200329

生き延びた幸運

には感謝している。と同時に生き延びてしまった不運を呪いもするのだ。

外出自粛要請が出されたり、なんとも不気味な3月最後の日曜日、川崎ではまさかの雪である。

2020年3月28日 (土)

外出自粛要請

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200328/k10012355321000.html

 

 

なんとも物々しく、経験したことのない不気味さである。

境界

メルロポンティはこう言っている。
『私の腕がテーブルの上に置かれていても、灰皿が電話機の傍にあるのと同じような意味で、腕が灰皿の傍にあるなどと言おうとは、私は夢にも思わないであろう。私の身体の輪郭は通常の空間的諸関係が超えることができない一つの境界をなしている。』と。
ところがだ。今の私には「夢にも思わぬ」どころか、それこそが実感なのである。翻っていえば、それはもはや「私の」腕とは思えない。

私の身体の輪郭は通常の空間的諸関係が超えることができない一つの境界をなしている

2020年3月27日 (金)

STONE SOUR JAPAN TOUR 2011

日時/会場:
2011年2月20日(日) 神奈川・横浜BAY HALL
2011年2月21日(月) 東京・赤坂BLITZ
2011年2月22日(火) 愛知・名古屋DIAMOND HALL
2011年2月23日(水) 大阪・なんばHatch
https://tower.jp/article/news/2010/12/10/72920

 

そうか、2011年2月だったか。

我々は人間として生きるという「刑に処されている」

件は生まれて三日にして死し、その間に人間の言葉で、未来の凶福うぃ予言するものだと云うことを聞いている。こんな者に生まれて何時迄生きていても仕方ないから、三日で死ぬのは構わないけれども、予言するのは困ると思った。第一何を予言するんだか見当もつかない。けれども、幸いこんな野原の真中にいて、辺りに誰も人がいないから、まあ黙っていて、このまま死んでしまおうと思う途端に西風が吹いて、遠くの方になんだか騒々しい人声が聞こえた。

2020年3月25日 (水)

別れめ

仰げば尊しの歌詞に出てくる「今こそ別れめ」の「め」は「~しよう」という意志、決意を表す助動詞。「別れ目」とは書きません。 この「め」は古語の助動詞「む」の已然形になります。助動詞「む」は「意志」を表す言葉。徒然草では「かさねてねんごろに修せんことを期す(もう一度、しっかり修めようと決心する)」という言いまわしが出てきますが、この「ん」と同じ意味になりますね。「~するぞ」「~しよう」という意志、決意表明。 仰げば尊しでは、「別れめ」の前に「こそ」という言葉があります。これは係助詞と呼ばれるものでした。現代語にするときは特に訳す必要はなく、あとの言葉を強調します。つまり「今」というこの瞬間ではなく「別れる」という動詞を強めているわけですね。係り結びによって強調された言葉は已然形になるので、本来「今別れん」と書くところが、已然形の「別れめ」と変化しているわけです。 まとめると「今こそ別れめ、いざさらば」は「さあ、今(こそ)別れよう」という現代語になるのが正解であるということ。「今が別れ目ですね、さよならしましょう」ではありません。 https://kotobano.jp/archives/2003

バルヴァー主義

2020年3月24日 (火)

ミュラー・リヤー錯視

2020年3月23日 (月)

    

浴室

我が家の浴室には手すりがあって、なおかつシャワーチェアもあるからどうにか湯舟に入れているが、これらのないホテルの浴室では、やはりちょっと無理だな。

2020年3月22日 (日)

思考欠如

はっきり言ったはずである。

妄想に基づく陳腐で独りよがりな物語に他人を回収するために、その他人の言説を曲解・矮小化する、悪意があるとしか解釈しようのない(得体の知れぬ悪意は実に気味が悪い)ディスコミュニケーションを繰り返して、おのが妄想の正しさが「証明された」などと勝手に吹き上がる。そうして相手に的外れなレッテル貼り(しかも××病などという幼稚な病名で)をしてくる、かような性癖の持ち主と時空間を共にすればどんな濡れ衣を着せられるかもわからない、それは冤罪の構造であるからだ。よってリスクヘッジとしてこういう人間とは関わらぬが吉であるという結論に至ったのである。なぜなら。そのの「リスクヘッジ」という言葉すらも曲解・矮小化して吹き上がっていたが、これがまさに先に述べた性癖の証左である。得体が知れぬと書いたが要するに肥大した自己愛の変種であろう。いずれにせよ、一切の関わりを絶つと決めたのだから電話帳の登録も抹消したのだ。

無知・無教養をまったく恥じていない

どの よ うに子 どもの 心 の 時間は分節化 され る の か

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jraps/31/1/31_KJ00007641833/_pdf

現象

2020年3月21日 (土)

関わらぬが吉

善悪の単純な二元論を設定し、
俗情と結託して一面的な価値観を強調すれば、おのが善人性が担保されると踏んでいる、その手のバカと話すことなど何もない。せいぜい関わらぬが吉である。

ようこそ地獄、たのしい地獄

国立公文書館の企画展。入場無料。会期は平成28年7月16日(土)~8月27日(土)だそうだ。この間のいつだったかは失念したが、『冥途』の取材というか、演出の参考になればと思い、観に行ったのだった。
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対象の形

四点杖

アマゾンの履歴によれば2017年12月18日に購入したようだ。そうだった。年末年始に一時帰宅するつもりでいたのだ。それは結局叶わなかったのだけれど。
ともあれ、退院時には自前の杖で病院を出たのだった。

銀河画報社

のDVDを見返していた。 今ネットで確認したら、発売は2018年3月31日なので、病室でスマホを使って発注した記憶と辻褄が合う。 実は私は銀河画報社のほとんどの作品をフィルム上映で観ている。といっても札幌ではなぜか一度も観たことがなくて、今は下北沢にあるラ・カメラという画廊というか、「イメージ・ガリレオ」っぽいフリースペース的な小屋が乃木坂にあった頃に上映会があって、そこで観たのだった。上京後まもなくだった記憶がある。ラ・カメラ@乃木坂が存在したのは1992年~1999年だそうだから、これも記憶とほぼ辻褄は合っている。

評価

というものは、される側でなく、する側に属する問題だ。ひらたくいえば、あんたがどう思おうがこちらは与り知らぬということだ。

2020年3月20日 (金)

ラウドネス@クラブチッタDVD

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身体図式

以前であれば

台所や風呂は、さして汚れていなくても、私が思い立ったときにすぐに掃除していたからいつもピカピカに保たれていたのだが、もうそんんな芸当はとてもできない。

2020年3月19日 (木)

帰省

夫婦での旅行もかねた帰省を夏ぐらいに予定しているけれども、どうなることやら。

城下稲荷

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疲れる

身体が疲れる、とはいうが、身体を疲れるとはいわない。 「疲れる」は自動詞形しかとらないからだ。 自動詞/他動詞云々の文法を持ち出すまでもなく、「身体を疲れる」がオカシいと感覚的に判らなきゃおかしい。 こんなことすらわからぬ者が「作家」を自称してるんだから疲れる。

冥途

ピタパタ第6回公演『冥途』を少し見返した。
「恐ろしい波はもう間近まで打ち寄せているらしかった」という台詞が、今は妙に身につまされる。
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2020年3月18日 (水)

可視的なもののなかの私の身体

2020年3月16日 (月)

今日も何もなさぬまま

無駄飯を食らうばかり。これが一生続くのか。

眼差し

2020年3月15日 (日)

旧帝大の設置された順番

1886年(明治19年) 東京帝国大学 (東京大学)
1897年(明治30年) 京都帝国大学 (京都大学)
1907年(明治40年) 東北帝国大学 (東北大学)
1911年(明治44年) 九州帝国大学 (九州大学)
1918年(大正7年) 北海道帝国大学 (北海道大学)
1918年(大正13年) 京城帝国大学 (ソウル大学校)
1928年(昭和3年) 台北帝国大学 (台湾大学)
1931年(昭和6年) 大阪帝国大学 (大阪大学)
1939年(昭和14年) 名古屋帝国大学 (名古屋大学)

 

 

生ける連関

2020年3月14日 (土)

検索

あの小屋で確かに観た芝居、それが、いつのことで、なんという劇団だったか思い出せず、ツイッターの検索で突き止めた。

開花/雪

2020.3.14東京では桜の開花が観測され、このまま春になるのかと思えば雪である。

自称ユーモア

通俗的イメージから派生した前提ですらなく、完全にオリジナル(=身勝手)な妄想に基づくデタラメなストーリーなのだから話にならない。

2020年3月12日 (木)

根拠も示さぬ

陳腐な憶測(とすら呼べぬ)妄想を抱くのは勝手だが、そんなものに巻き込まれるのはまっぴらゴメンだ。

夢の花見

夢の中で桜が満開で、夢ではあるけど花見はこれでいいじゃないかと夢の中で思った。

2020年3月10日 (火)

ブラウザ

IEからEDGEに変わったときは何でもなかったのにEDGEをクロミウム版にしたら、仕事上支障が出た。困ったものだ。

2020年3月 7日 (土)

一時帰宅~退院

2018年3月10日、11日:一時帰宅(外泊)

2018年4月7日:セラピスト内見:一時帰宅(外出)

2018年4月21日:退院。

2020年3月 4日 (水)

2020.3.3

多摩病院へ薬をもらいに行く。朝、ちょうど家を出る時間にエレベーターが点検で動かず、階段を歩いて下りることになった。車椅子も妻に階段で下ろしてもらった。朝から力仕事を強いてしまい、心苦しい。
多摩病院はこれが最後。次回から登戸というか向ヶ丘遊園のクリニックへ行くことになった。多摩病院での診察後、下見をかねての散歩。梅の花が咲いていた。久しぶりに中和ビルにも入ってみた。2018年4月21日に横浜の病院を退院してからかれこれ2年になる。

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