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ホモ・イコノミカス=「経済人」のことですが、それを「経済的目的だけを追求する人びとのこと」と解するのは全く誤りです。そもそも、純粋に経済的な目的といったものは存在しません。人びとは常になんらかの”非経済的”目的のためにかせごうと努力している、というのが真実でしょう。(ハイエク)
— ハイエクbot (@hayek306) January 28, 2020
時間はその痕跡を残さずに消える事はできない。なぜなら時間は主観的な意味における精神的カテゴリーだからだ。われわれによって生きられた時間は、時間の中によこたわる経験としてわれわれの魂の中に積もるのである。[映ポ]
— Andrei Tarkovsky (@TarkovskyJP_bot) January 28, 2020
という言葉を使ったからとって、信念の強弱の話じゃない。蓋然性の多寡をいっているのだ。
入院時代が懐かしさを伴って思い出されるようになった。
私達が入試問題を通して見た い受験生の力には,さまざまな側面があります。例えば,問題文をきちんと正確に読 み取って何が問われているのかをつかむ読解力,それを解決するためにどのほうな方 法でどう攻めていくかという方針を立てる構想力,立てた方針を実行に移す計算力, それらを読み手にわかるように筋道立てて記述する表現力,などの力を見たい,その ような力を備えた学生に来て欲しい,と思って問題を作ります。http://www7b.biglobe.ne.jp/~fukagawa/documents/nyuusi.pdf
(「語る」という現象において)話し手は語るに先立って考えるのではない。話す間に考えるのですら無い。語るということが考えることなのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) January 23, 2020
という単語の持つ通俗的イメージ(「痺」という漢字の印象が関係しているのかも)が陳腐な精神論を召喚するのだろう。それが無責任な医療関係者の口を経て奇妙に権威づけられ、思考怠慢者の一次情報(この耳で専門家から直接聞いたのだから間違いないという自己の「経験」の絶対化)として利用されるのだ。迷惑な話である。
だからやはり「不随」の方が表現としてしっくりくる。
http://www.homopants.com/philosophy/a_bib.html#start
たとえば、「栗本慎一郎が言っていることが正しいということになると、俺のこれまでのあの仕事の評価が下がるから困る。だから反対する」とかの事が起きる。
この“「」”の意味は、ある人が、一言一句違わずそのままを言ったり書いたりしたということを意味しない。そんなことは子供でもわかりそうなもんだが、何を根拠にか、おのが文章力に自信があるらしいオトナが、これを理解できないのである。「体験」の絶対視に基づく謎ルールを持ち出して教条的に〈不味いで、不味いで〉などと、その漢字の使い方もどうなんだ? というバカ丸出しの様相で身の程知らずのマウントを取りたがる。まったく鬱陶しいったらない。端的にいってバカである。こういうバカとは金輪際関わらぬことに決めた。
ニーチェが、切迫した出来事、〈約束=威嚇〉という形態のもとに、〈人間〉はやがて存在しなくなるであろう-超人のみが存在することになるのだと告げたとき、ニーチェの思考が我々に対して持ち得た、そしてなお持ちつつある震撼力が、今は理解されるであろう。-言葉と物-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) January 11, 2020
内的人間などは存在しないのだ。人間は世界においてあり、ほかならぬ世界のうちで自己を知るのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) January 11, 2020
情報に振り回され、リソースの無駄遣いを負担させられるなどまっぴらゴメンである。
身体は、必然的に「ここ」にあるのと同様、必然的に「今」実存している。それは決して「過去」となることはできない。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) January 10, 2020
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』:思考の限界を言語の限界を通して検討(1~6.3751)し、哲学問題が思考不可能であることから倫理、価値、生について思考でなく沈黙のうちに生きることで示す(6.4~7)と語る「倫理学」の本。「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」は有名。
— 哲学ボット (@tetsugakubot) January 10, 2020
誰にしたところで、どのみち両義的なのです。ただ自分の両義性を身に引き受けて「内面化」する事を拒む人もいれば――その時、所謂両極性となるわけですが――、色々な問題を、従ってまた自分の中にある互いに矛盾した様々の特性を甘んじて直視する人もいるというだけのことです。『幼児の対人関係』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) January 10, 2020
断片的な情報を収集整理する手間まで負う筋合いはない。しかもその断片的情報に間違いが含まれている。自分でも判らなくなってるのだから整理しろと言っているのに理解できない。恐ろしいほどスキルの蓄積がない。これまた関わらぬが吉である。こんなのばっかだ。
2世紀から3世紀にかけて活躍した大乗仏教学者のナーガールジュナの『中論』に基づいて般若空観を宣揚した〈中観派〉の考え方は、ソシュールやフロイト=ラカンの思想を先取りしているとさえ思われるほどである。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) January 6, 2020
いっさいの認識の始めであり終りであるはずの感覚やイマージュは、実はある意味の地平において初めて現れるのであり、また知覚されたものの意義は、連合の結果であるどころか、実はかえってすべての連合において予想されているのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) January 5, 2020
https://dictionary.goo.ne.jp/word/文化/
1 人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。カルチュア。「日本の文化」「東西の文化の交流」
2 1のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。
3 世の中が開けて生活内容が高まること。文明開化。多く他の語の上に付いて、便利・モダン・新式などの意を表す。「文化住宅」
[用法]文化・[用法]文明――「文化」は民族や社会の風習・伝統・思考方法・価値観などの総称で、世代を通じて伝承されていくものを意味する。◇「文明」は人間の知恵が進み、技術が進歩して、生活が便利に快適になる面に重点がある。◇「文化」と「文明」の使い分けは、「文化」が各時代にわたって広範囲で、精神的所産を重視しているのに対し、「文明」は時代・地域とも限定され、経済・技術の進歩に重きを置くというのが一応の目安である。「中国文化」というと古代から現代までだが、「黄河文明」というと古代に黄河流域に発達した文化に限られる。「西洋文化」は古代から現代にいたるヨーロッパ文化をいうが、「西洋文明」は特に西洋近代の機械文明に限っていうことがある。◇「文化」のほうが広く使われ、「文化住宅」「文化生活」「文化包丁」などでは便利・新式の意となる。
それどころか、妄想を起点としたおのが物語を正当化するために、相手の言葉の曲解と矮小化を「忖度」と定義して恥じぬバカを知っている。こういう性癖の持ち主とは関わらぬが吉である。言葉遣いの裏を読むことがアホらしくて、バカくさくて、薄汚くて、虚しくて、屈辱的で、厭で厭でたまらない。私はこうした傾向が(たぶん病的に)強い人間なので、言葉の文字通りを信じない人、言葉の裏を必死に読もうという態度の人を見つけたら、ただではおかない。『私の嫌いな10の言葉』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) January 3, 2020
居間のエアコンが故障したので、初詣も兼ねて、向ヶ丘遊園ダイエーのノジマへ。
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