陰謀論やデマ
陰謀論やデマといった情報は、発生する原因が単純、かつ現実にみられる複雑な要因に目をつぶるきらいがあり、ある程度の不確定要素に寛容である。逆にサイエンスニュースはその結果に至る目的と工程が明確で、何か不確定要素があれば検証が可能である。これら2つの情報の決定的な違いとは、査読を経て発表されたものかどうかと、そのコンテンツの再現性だ。https://wired.jp/2016/10/16/conspiracy-theory/
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陰謀論やデマといった情報は、発生する原因が単純、かつ現実にみられる複雑な要因に目をつぶるきらいがあり、ある程度の不確定要素に寛容である。逆にサイエンスニュースはその結果に至る目的と工程が明確で、何か不確定要素があれば検証が可能である。これら2つの情報の決定的な違いとは、査読を経て発表されたものかどうかと、そのコンテンツの再現性だ。https://wired.jp/2016/10/16/conspiracy-theory/
内的人間などは存在しないのだ。人間は世界においてあり、ほかならぬ世界のうちで自己を知るのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) November 30, 2019
話すということは、すでにその原理が確定しているコミュニケーションを細分化することなのだ。『世界の散文』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) November 27, 2019
挙の投票行動や経済活動などに関して,マスメディアの報道が人々の心理に影響を与え行動を変化させること。アナウンス効果ともいう。たとえば選挙において,有利と報道されていた候補者や政党が,実際には敗れたり苦戦したりするのは,有権者の判官びいきやバランス感覚によるとも考えられる(→バッファー・プレイヤー)。逆にある候補者が不利と報じられると,その支持者に投票へ向かう心理が強く働き,結果として不利とされた候補者が当選することもある。経済活動における例としては,政府や日本銀行が経済・金融政策を発表することにより,企業や家計に影響を与え,当初の想定以上の政策効果をもたらすことなどがあげられる。https://kotobank.jp/word/アナウンスメント効果-169942#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8
当初から、麻痺が残るとは聞かされていた。だがその「残る」は、多くはリハビリによって解消されるが完全には取り除かれぬという意味だと解釈していた。大甘である。これほどまでに完璧に、1ミリも回復しないとは!
積極的に死にたいと思ったことはない。だが、今度死神に手招きされたら、抗うだけの気力は、もう残されていない。
今日はずいぶん夜更かししてしまった。
もっとも横になったところでどうせ眠れないのだから同じことではあるが。
ある記号の表現力は、それがある体系の一部分をなし、他の記号と共存していることに起因するのであって、神や自然によってある意味を指示すべく制定されたかもしれぬという点に由来するのではない。『世界の散文』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) November 26, 2019
意識は絶えず自己の歩みを捉え直し、同一のものと認知できるような一個の対象のうちに収約し定着させ、次第に「見る」事から「知る」事へと移行しつつ自己自身の生の統一を獲得する。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) November 24, 2019
夢の空間から排出されて、つまり目覚めることによって、初めて私たちは夢を夢として意識する。私たちが知っている夢は、だから、ことごとく私たちが脱出したあとの空虚な空間、夢の抜け殻なのである。[夢について]
— 澁澤龍彦bot (@tatsuhikobot) November 23, 2019
厳密にいえば、人間事象の領域は、人間が共生しているところではどこでも存在している人間関係の網の目から成り立っている。言論による“正体(who)”の暴露と活動による新しい「始まり」の開始は常に、すでに存在している網の目の中で行われる(『人間の条件』25)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) November 23, 2019
22年前の作・演出デビュー作をやっとデジタルデータ化できた。
古いビデオを見返すといろんなことが芋づる式に思い出されるけど、
舞監任せにしといた捜し物が結局見つからなくて、土壇場で買いに走ったんだったとか、搬出の段取りが悪くて小道具や装置を妻にタクシーで持って帰ってもらったりしなたあとか、意外とそんなことばかり印象に残ってる。
https://www.youtube.com/watch?v=2M_zLjqYSEI&feature=youtu.be
親切の押し売りがうっとうしいのは、そういう人は「親切」を絶対原理とみなし、それ相応の感謝を強要し、さらに自分も同じように(あるいはそれ以上に)親切にされることを期待するからである。『カントの人間学』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) November 21, 2019
https://manab-juku.me/japanese/classical-mu-muzu/
推量の助動詞「む(ん)」は、推量、意志、勧誘、適当、婉曲、仮定の意味があり、活用語の未然形に接続します。なのに、半可通が「言わない」の意味で「言わん」と書いたりするから、ただでさえ意味不明な文章の意味がますますつかめない。そのことを「なんちゃって古語がデタラメだ」と言ったのである。
・言ふ+ん+こと → 言はんこと(連体形)[言うようなこと]
我々の知覚は対象に到達する。そして対象は、ひとたび構成されると、我々がそれについて持ったところの、或いは持つことができるであろうところの、一切の経験の根拠として現れる。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) November 20, 2019
https://www.principles.jp/blog/90-cat2/399-2017-08-3.html
「論理的に考えて伝えることができない」という課題には、ふたつの要素が含まれています。ひとつは、結論と理由をセットで適切に論証をすることができないという「論理力」の問題。もうひとつは、自分が実際にやっていることを一段高い視点からまとめること、考え直すことができない「抽象的思考力」の問題です。
例えば、大学進学の機会費用とは、進学せずに就学期間中働いていたら得られたと考えられる利益である。大学進学の場合、会計上あらわれる費用は、大学進学のための学費などで、就学期間中働いていたら得られたと考えられる利益は会計学上は費用には入らない。しかし、経済学上の費用とは、会計学上の費用に機会費用を足したものとなる。通常、経済学において、合理的な行動とは会計学上の費用ではなく、経済学上の費用にもとづいたものと考えられている。 時間に対する機会費用がゼロでない限り、なにかしらの費用が発生する[1]。時間の機会費用が高い人は、割引のために列に並んだりはしない[2]。時間当たりの機会費用が小さい人は、通常価格では買わないことが多い[3]。 ベンジャミン・フランクリンは、「時間は貨幣」すなわち「時は金なり」という格言で、経済学のいう機会費用の考え方を表現している[4]。 たとえば、100万円儲かったとき、別のやり方なら150万円儲かったというとき、50万円が機会費用だ。https://ja.wikipedia.org/wiki/機会費用
https://ja.wikipedia.org/wiki/機会費用
機会費用(きかいひよう、英: opportunity cost)とは、時間の使用・消費の有益性・効率性にまつわる経済学上の概念であり、複数ある選択肢の内、同一期間中に最大利益を生む選択肢とそれ以外の選択肢との利益の差のこと。最大利益を生む選択肢以外を選択する場合、その本来あり得た利益差の分を取り損ねていることになるので、その潜在的な損失分を他の選択肢を選ぶ上での費用(cost)と表現している。
似た概念として、機会損失(opportunity loss)があるが、機会費用(opportunity cost)が「ある選択を実行する」(ことで他の選択が実行できなかった)ことで生じる・生じた架空の費用(cost)・損失(loss)を表現する積極的概念なのに対して、機会損失(opprtunity loss)は単に(ある行為を)「実行できなかった・実行し損ねた(やり損ねた)」ことで生じる・生じた架空の損失(loss)を表現する消極的概念であり、ややニュアンスが異なる。法学における類似概念として、逸失利益があるが、こちらも機会費用(opportunity cost)よりは機会損失(opprtunity loss)に近い概念である。
低級な頭脳の人間は、手当たり次第に何でもかんでも取り上げて、乱痴気騒をしては、その場を凌ごうとする
— ショーペンハウアー名言集 (@Schopenhauer0) November 17, 2019
きみは理不尽に報われ、理不尽に救われる。きみは理不尽に成功し、理不尽に失敗する。きみは理不尽に幸福になり、理不尽に不幸になる。これがきみが知っている唯一の人生の「かたち」なんだ。もうごまかすのはやめよう。何も見通せない。何も納得できない。それが人生なんだ。『カイン』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) November 17, 2019
エントランスまで杖歩行。が、郵便受けがロックされてしまった。一旦家に戻り、暗証番号確認、もう一度郵便受けへ。というわけで、エントランスまで分往復。それとは関係なしに、後にエレベーターを使わずに非常階段を下りてみた。
というわけで、今日は一階まで三往復歩いた。
我々は、我々自身の経験を、つまり、我々がそれであるところの、この意識の経験を持っている。そして言語のあらゆる意味は、他ならぬこの経験をもとにして測られるのだし、また言語が我々に対して何ごとかを意味すること自体、この経験のおかげで初めて可能となるのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) November 16, 2019
論点のすり替え(ろんてんのすりかえ、英: Ignoratio elenchi)は、非形式的誤謬の一種であり、それ自体は妥当な論証だが、本来の問題への答えにはなっていない論証を指す。"Ignoratio elenchi" とは ignorance of refutation(反駁とは何であるかを知らないこと)の意。"elenchi" はギリシア語の έλεγχος に由来し、反駁の主張・論証を意味する[1]。論点相違の虚偽(ろんてんそういのきょぎ)、論点無視の虚偽(ろんてんむしのきょぎ)ともいう(広辞苑)。 アリストテレスは、論点のすり替えは相手の主張に反駁する際に犯してしまう間違いであると考えていた。そのため彼は、その当人が反駁とはどういうものかについて無知なのだとした。アリストテレスにとって、論点のすり替えは論理を知らないことに等しい。実際、アリストテレスは全ての論理的誤謬は論点のすり替えに還元されるとまで言っている。 現代では、アリストテレスほど広い意味で使われているわけではない。https://ja.wikipedia.org/wiki/論点のすり替え
同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という。
— アインシュタイン 名言集 (@Albertmeigen) November 16, 2019
ソシュールの記号学解体作業によって明らかにされた深層の言葉とは、制度化される以前のメロペー(初源的メロディ)、リズム、所作のみならず、夢という言語とも通底する〈動きつつあるゲシュタルト〉である。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) November 15, 2019
ビデオデッキを運んだ。随意の手が塞がってしまうわけで、杖も持てなければ、壁に手をつくこともできない。それでもなんとか、綱渡りするみたいにふらふらしながら運んだ。ビデオデッキを運ぶというより、ビデオデッキを抱えた上半身を運ぶという感じ。部屋の電気は口でつける。
睡眠は死からの負債である。睡眠は生命を維持するために、死から借りるものである。
— ショーペンハウアー名言集 (@Schopenhauer0) November 15, 2019
サルトルの考える〈現象学的還元〉とは、非反省的意識である情動を反省的意識に引き戻す操作であり、彼がそれを〈反省作用〉とか〈浄化的反省〉と呼んだ理由も明らかになるだろう。これはギリシャ以来の〈対象化〉理論であり、西欧の形而上学の根底にある発想である。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) November 15, 2019
亜脱臼を庇って、重い左腕をスリングで吊っているが、それを支える右肩が痛い。結局痛みの総量は変わらず、同一人物内で分配してるだけ。
相手の発言の曲解と矮小化をテコにして、自称推論(妄想の物語)の正当性が証明された、などと勝手に吹き上がる。こういうバカとは付き合えない。関わっちゃヤバいレベルである。
権力の行使とは、権力の中で、権力を出発点として、権力を通して作用するような、諸々の真理言説の一定のエゴノミーなしには成立しないものです。私たちは権力によって、真理の生産に従えられ、私たちは真理を生産することでしか権力を行使することができないのです。-防衛講義-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) November 14, 2019
ちゃっちゃと自力で確認することができないから見つからないし、整理できない。
痛みで無意識に足を引き摺るんじゃないんだ。
片足が不随の状態で、支持期底面を一定以上に保ちながら移動することで転倒リスクを抑え込んでいる。
いわば戦略的跛行である。
いっさいの認識の始めであり終りであるはずの感覚やイマージュは、実はある意味の地平において初めて現れるのであり、また知覚されたものの意義は、連合の結果であるどころか、実はかえってすべての連合において予想されているのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) November 14, 2019
V. パレート(伊・仏, 1842-1923):パンタレオーニの影響下に経済学の研究を始め、序数的効用から有名なパレート最適を定義した。また彼は人文社会科学の統一分野としての社会学を提唱・研究し、その非合理的人間行為についての洞察はパーソンズにも影響を与えた。主著『経済学提要』(1906)他。
— 経済思想bot (@historyofecon) November 14, 2019
井筒俊彦〈深層意識の言葉〉=ソシュール=ラカンの「コード化される以前の、絶えず動き戯れる言葉の音のイメージ」=ソシュール=丸山の〈コードなき差異〉=唯識派の〈アラヤ識〉
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) November 13, 2019
高血圧にとって、ストレスは危険因子のひとつです。ストレスを受けた身体から疲れをとるためにも、充分な睡眠をとってください。また、睡眠時は血圧が下がります。活動時に上昇した血圧によって傷ついた血管壁を、修復する時間でもあるのです。
血圧は高齢になるにしたがって変動しやすく、一般的に上がるものなので、壮年期から充分な注意を払ったライフスタイルを心がけておきましょう。また、現在、医師から降圧剤を処方されている場合は、自己の判断で服用を中止したりすることは危険ですから、必ず医師に相談してください。
血圧は精神状態や活動の種類によってとても変動しやすいものです。あまり神経質に血圧の数値にこだわるのも問題ですが、まめに自分の血圧を測定して、正確な値を知っておくことも大切です。
冬場の高血圧が危険な理由は、寒い時季には高血圧の人に限らず血圧が上昇する、ということにあります。寒くなると血圧が上がるのは、一つに寒さへのストレスが関係しています。
ストレスは、日常さまざまな形で私たちの身体を刺激していますが、そのストレスによって分泌されるホルモンがあります。このホルモンは血管を収縮させ、高血圧を誘発します。調べによると、冬はこのホルモンの量が増え、それは寒さによるストレスが原因と考えられています。
もう一つ、冬に血圧が上がるのは、塩分摂取量が増えるからです。これは、塩分を多く摂っているというより、食事の量が全体的に多くなっているからといったほうがよいでしょう。
オランダ、アムステルダム大学の研究者の研究によって、降圧剤を飲み続けることで脳の認知機能が低下することが証明されている。
「そもそもなぜ血圧を下げるかというと、脳卒中や心筋梗塞を予防するのが目的なのです。しかしながらたとえば80代の高齢者が日常生活に不自由をこうむってまで、遠い将来やってくるかもしれない病気を防ぐ必要はないという考え方もあります。
ちょっと血圧が高くても薬を出さない選択肢があってもいいのです。要はバランスが大事だということです」(前出・岩田氏)
日本高血圧学会のガイドラインによれば、上が140以上、下が90以上で、高血圧とされている。上が150を超えてしまったら、すぐにでも降圧剤を飲まなければならないと誤解している人もいるかもしれない。医師も勧めてくるだろう。
だが、血圧は年齢とともに自然と上がるものであり、かつての日本では、90+年齢が高血圧の目安とされていた。実際、150程度ならば、生活習慣をあらためることで改善できる場合が多い。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51773?page=3
身体がこわばって、いつにも増して歩きにくい。
https://laboradian.com/enable-administrator-on-windows10/
[ すべてのプログラム ] → [ アクセサリ ] をクリックします。
[ コマンド プロンプト ] を右クリックして 「 管理者として実行(A)... 」 を選択します。
「 コマンド プロンプト 」 が表示されます。
下記の文字列を入力後に [ Enter ] キーを押し 「 Administrator 」 を有効にします。
「 net user administrator /active:yes 」
「 Administrator 」 を有効後 「 コマンドは正常に終了しました。 」 と、表示されたら画面を閉じて終了
します。
https://aprico-media.com/posts/1550
上級国民とかいうよくわからん階級にほんとに忖度があるなら今頃ニュースになんかせずにもみ消されてるに決まってるんだよな
— かっきー@ネガティブ (@kakkynegative) November 12, 2019
報道するだけで火がつくんだから忖度したいならマスコミに圧力かけるでしょ?
少し考えればわかるはずだ
考えれば判ることを考えない。そういう思考怠慢者たちなのだろう。
確かに。「いちからせつめいしないとだめか」な相手には、大抵一から説明してもダメである。 pic.twitter.com/MnFYtDa3Jv
— 不破雷蔵@ガベージニュース (@Fuwarin) November 11, 2019
妄想に基づく身勝手なストーリーに他人を回収する、そのために他人の発言を曲解・矮小化する、そういう態度=振る舞いが「失礼」だと言っているのだ。その指摘でさえ、「葉遣い」だとか「語尾」だとかの話に矮小化し「お互い様」に持ち込もうとする。「お互い様」と書けば、それが引用以外にないという謎ルールで、そのものズバリの言葉を使っていないと勝利宣言。こういうバカにはつける薬がない。
https://www.mikura-clinic.jp/news/health/high_blood/
高血圧の9割は原因が明らかでない本態性高血圧です。しかし、遺伝的体質に食塩摂取過剰、肥満、アルコールの多飲、ストレスなどの生活環境の因子が重なって起こるとみられています。
社会的地位のある者によって、ある文脈で真とされたルールを、別のパースペクトに持ち込んで、権威主義を盾に真だと言い張る、この愚かしさ。
その愚かしさを自覚できない愚か者。
あえて「不幸そうに見せかける」技術は、他人から気に入られる技術でもある。ひとは他人の不幸を好むからであり、ましてさまざまなものを与えられている人が不幸に陥ることを熱望するからである。『不幸論』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) November 11, 2019
閉めようとして死亡とか、じゅうぶんあり得る身だからさ。気をつけてなんとか閉めたけれども。
ウェブサイトの「お問い合わせ」からのメールが他人のアドレスに飛ぶ設定になってるのを放置できる感覚が理解できない。
ソシュールの記号学解体作業は、まずプラトン、『聖書』以来の「言葉とは物や概念の名前である」という考え方への批判から出発する。即ち言語記号とは「自らに外在する実体を指し示す表象(代行・再現物)ではなく、間主体・共同主観的網目の産物に過ぎない」という指摘がその前段階である。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) November 11, 2019
今度は民間人の住所を公開…!? 森ゆうこ議員の呆れた「人権感覚」 @gendai_biz https://t.co/x01q0hTAXp #現代ビジネス
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) November 10, 2019
だから、約半年間、一日も欠かさずリハビリを受けたことになるが、失われた身体機能は1ミリも回復してはいないから、依然として「入院」の気分が継続している。
我々は、言葉の織物に混ぜ合わされている沈黙の糸に敏感でなければならないのだ。『世界の散文』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) November 9, 2019
など、例外なくバカのすることである。
クラウド上にあった「入院」フォルダの中に『猫町』の台本があった。入院中に、送るよう妻にリクエストしたのだった。何を考えていたのか。
こんなところで消費してくれないで結構だ。
ということでいえば、身体の不随は世界との「関係」の出発点で躓いているわけで、生きづらいことこの上ない。
いかなるコンテンツを送ったところで、受信機がぶっ壊れていたんじゃ話にならないのである。
メモ書きだったりで当時の記憶が生々しく蘇るものだなあ。逆にそれらがないと、記憶も「記録」に留まってしまう。
予定していた帰省が、妻のスケジュールの関係でキャンセルになった。せいぜい静かに年を越したい。初詣のための近所の神社など物色中。
④しかもこの非常に曖昧な言葉は一ヵ所だけで、あとはすべて「目的語」がなく、従って一体全体「何を斬った」のかわからないのである。
— 山本七平bot(戦争編) (@yamamoto7heiwar) November 9, 2019
勿論⑵すなわち「戦闘中ノ行為」の記述である事は疑いないが、斬った相手が戦闘員なのか非戦闘員なのか、一切わからない。
〈中観派〉の〈縁起〉説によれば、全ての事象は関係の産物である。これは「自立的・恒常不変・単一という三つの性質を持った即時的存在である〈自性〉の否定」という点で、そのままソシュールのいう〈実体なき関係の世界〉と同じである。そしてその原因を存在喚起力としての言葉に見るところも同じだ。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) November 9, 2019
自我の経験と魂を信ずることとの違いは、次のようになる。我々の内に自我を経験するとき、我々が統覚するのは、我々が為すものである。これに対して、思考する存在を信ずるとき、我々が統覚するのは、我々が為したのではないものである。『心身の合一』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) November 8, 2019
妄想に基づき勝手につくりあげたストーリーに他人を回収するために、当人の発言を曲解・矮小化して、おのが物語を正当化する材料に使うのだ。そうされぬことを望むなら、この頭の悪い卑怯者とは金輪際関係を絶つくらいの自助努力は必要だろう。
我々の眼差しは肉体の開かれた口であり、それは万人共通の世界の肉によってただちに満たされるという事実―――したがって、生きた身体は世界の上に押しかぶさり、見る身体、触る身体となり、いわんやおのれ自信に感じられる身体となるという事実、一切はそこから由来するのである。『シーニュ』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) November 7, 2019
具体的な人間とは、有機制に結び合わされた精神活動などではない。ある時は自己を身体としてあるにまかせ、またある時は人格的な行為に向う、実存の往復運動なのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) November 7, 2019
理論的国民経済学は経済的行為にたいする実際的提案を取り扱うものではなく、人間が欲望満足に向けて先慮的行為を展開するにあたってその基礎となる諸条件を取り扱うものである(C・メンガー)
— 経済思想bot (@historyofecon) November 6, 2019
夢を見た。不随の手がほんの少し動くのだ。それでなんとか音響オペができる。
けれどすでにサンプラーを売り払ってしまった。
音響席で、そのことをひどく後悔している。だけれど、オペだけできたって、仕込みとバラシが無理じゃないか。それら込みでなきゃ「仕事」にならないのだから「売却」は間違いじゃないと自分を納得させている。
といえばまだ聞こえはいいが、実のところちっとも深くなんかなく、むしろ浅薄で身勝手な己の妄想を正当化するために、他人の言説を曲解しているに過ぎないのである。
物がない芸術が物の表出に取って代わっても芸術家の世界性は変わらない。この物のない芸術を芸術家が自分自身を表現するのに訴えたと考えている芸術家の主観と取り違えるのは、知ったかぶりの人であって、芸術家ではない。(『人間の条件』第6章注87)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) November 4, 2019
どうしても2017年の入院のことが思い出される。
私の考え方だとされたことが多いのだが、「権力、それは悪だ」というサルトルの考え方は、私の考えとはおよそかけ離れている。権力とは戦略的なゲームのことです。権力が悪ではないということは、誰もが解っているはずのことである。-自由の実践としての自己への配慮-
— ミシェル・フーコー (@M_Foucault_jp) November 4, 2019
で馬鹿らしい作業に巻き込まれるところだった。危ない危ない。
ラカンは無意識のレベルにおける言語活動に注目し、そこでは丁度夢に見る光景が目まぐるしく変化して特定の意味と繋がらなかったり(置き換え現象)、停止していても複数の意味の重なり合い(圧縮現象)だったりするのと同じように、〈無意識の言葉〉の意味と音の間には固定した絆が無いと言っている。
— 丸山圭三郎 (@M_Keizaburo_bot) November 2, 2019
https://1000ya.isis.ne.jp/0341.html
アレントは人間のもっている活動力を一つと見なかった。少なくとも3つ、広げれば4つの活動があると見た。労働(labor)、仕事(work)、活動(action)、それに思考(thought)である。こんな分類をしてアレントがどうしたかったというと、真の政治参加を呼びかけた。この政治参加は選挙に行くとかオンブズマンになるということではない。サルトルが重視したアンガージュマンでもない。かつて古代ギリシアに展開されていた"公共の生活"というものを新たに再生したいというのである。
近代は、その劇に加わったすべての俳優の意に反して、住民の一定層を世界から疎外することによって幕を開けた(略)土地を収用し一定集団から世界に占めていた場所を奪い生命の急迫に曝すことにより富の原始的蓄積が行われ富を労働によって資本に転化する可能性が作り出された。(『人間の条件』35)
— ハンナ・アーレント (@hannaharendtbot) November 2, 2019
に新しいデスクトップPCが設置され、プリンタも繋いだ。だんだん執筆再開環境が整ってきた。
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