そもそも知覚が存在するのは、私が私の身体によって世界に属しているから
そもそも知覚が存在するのは、私が私の身体によって世界に属しているからに他ならないし、私が歴史に意味を与えるのも、私が歴史の内に或る駐留点を占めているからであり、そしてこれらの視角が全て、そこでそれらが構成される処の一つの真理にすでに依存しているからに他ならない。『弁証法の冒険』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) October 25, 2019
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