視覚は思考の一様態とか自己への現前ではない
視覚は思考の一様態とか自己への現前ではない。それは、私が私自身から不在となり、存在の裂開――私が私自身に閉じこもるのは、その極限においてでしかないのだ――に内側から立ち向かうために贈られた手段なのである。『眼と精神』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) August 28, 2019
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