自己を教示する言語のようなもの
我々の眼差しのもとでの、または我々の手元での感性的与件の展開は、言ってみれば自ら自己を教示する言語のようなものであって、ここでは意味は標識の構造それ自体によって分泌される。そういうわけで、人は文字通り我々の感官が物に問いかけ、物が感官に応える、ということができる。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) August 23, 2019
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