心情倫理の「古層」
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丸山眞男は歴史意識の「古層」と並んで、政治意識と倫理意識の「古層」をさぐる三部作を書く予定だった。前者は「政事の構造」(『丸山眞男集12』)として論文になったが、倫理意識はまとまった論文にはならなかった。しかし講義や座談で、彼はその内容を語っている。歴史意識のキーワードが「なりゆき」だとすれば、倫理意識のそれはキヨキココロである。これは善悪ではなく、動機の純粋性を基準とする倫理だ。これは「なりゆき」を重視する歴史意識と関連している。西洋的な(キリスト教の)倫理意識では、時間は最後の審判という目的に向かって流れるが、日本ではそういう未来の目的がないため、現在のキヨキココロかキタナキココロかで価値が決まる。
このような倫理は世界的にみても異例である。儒教では普遍的な規範があり、行動はその結果によって判断されるので、「直情径行は夷狄の道なり」とされ、目的合理的に行動することが求められる。これに対して日本では共同体を超えた規範がないため、特定の集団への忠誠心が倫理基準になり、結果は問われない。「生きて虜囚の辱を受けず」といった戦陣訓が強い訴求力をもったのも、こうした心情倫理の伝統があったからだろう。
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