我々が物を理解するのは
我々が物を理解するのは、或る新しい行動を理解するのと同じであり、言いかえれば、包摂という知的操作によってではなく、観察可能な標識が我々の前に素描する存在様態を自分のものとして引き受けることによってなのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) August 19, 2019
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