一切の知覚は一つの交わり(communication)もしくはひとつの合体
一切の知覚は一つの交わり(communication)もしくはひとつの合体(communion)であって、それは我々による或る未知の思考の引受けないし完成であり、また逆に言えば我々の知覚能力の外部的実現であり、我々の身体と物とがいわば対になることなのである。『知覚の現象学』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) August 12, 2019
「哲学」カテゴリの記事
- 他者をあまりにも安易に理解してしまう(2022.05.24)
- どんなに自分が努力しても、相手が努力してくれるとは限らない(2022.05.11)
- 苦悶(2022.05.08)
- 達成(2022.05.06)
- 法の支配(2022.05.04)
コメント