我々は人間として生きるという「刑に処されている」のだ。
…それは根本的な選択なのか、と君は尋ねている。この(両義性の)哲学は一つの選択以上のもの、あらゆる選択を可能にしているものだ。それは人間として生きるという事実そのものであり、君が言うように我々は人間として生きるという「刑に処されている」のだ。『サルトル/メルロ=ポンティ往復書簡』
— メルロ゠ポンティbot (@merleaupontybot) July 7, 2019
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