段差
たとえば近所の喫茶店は入口に結構な高さの階段があったが、店内はフラットで、多目的トイレではなかったものの、トイレ前まで車椅子移動が可能だったから、さして「問題」にはならなかった。生理現象は計画できないし、こちらは障害があって「急ぎ足」ができないのだから、何につけ時間の余白を大きくとるようにしている。が、大小便あるいは吐き気を催した状態で体幹に力を込め、転倒しないように注意しながら段差を超える作業は、結構キツイ。ドアを開け、狭い入口に身体を通すのも骨が折れる。そうして間に合わず「そそう」したら、店舗ことに飲食店の場合は「大事故」である。なんとか「成功」しても、おもてに「乗り捨て」た車椅子が女子トイレの入口を塞いでしまったりする。単に邪魔になって心苦しいというだけではない。むろん嫌がらせでそうしているわけではないが、だからこそ「問題」なのだ。塞いでしまう、ということは塞がれてしまう蓋然性があるということだ。少しでも自己相対化して物事を考える習慣があれば容易に想像できることである。
であるから、単に理学療法的に段差を超えられる/超えられない、でなく、もっと、いわば現象学的に環境との身体の関係を想像しなきゃいけないのだ。「大事故」のリスクを含む環境であるとあらかじめわかっているなら避けるのが効率的なやり方だろう。何も自らそこに挑む必要などないのだ。
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